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November 17, 23
スライド概要
東京電力福島第一原発からのALPS処理水海洋放出にともなう健康被害について、学会で発表したスライドを公開します。
日本リスク学会 第36回年次大会 2023年11月12日 福島原発事故における 処理水海洋放出で見逃されている 深刻な健康リスク 伊藤浩志 福島市在住の独立研究者(学術博士) 専門領域: 脳神経科学/ストレス科学/リスク論/科学技術社会論 [email protected]
はじめに ü ALPS処理水の海洋放出始まる • 政府は科学的安全性を強調 • 漁業関係者は、放出反対の姿勢貫く 科学的「安全」と社会的「安心」は違う 風評被害を懸念(=社会的安心は得られていない) ü 科学的「安全」と社会的「安心」、両者はどこが違うのか ü 情動の脳科学の視点から安全と安心の関係を問い直す • 理由:安全と安心の分離→重大な健康リスクが見逃されている
これまでの「安心」と「安全」の関係 安心安全二元論 ・ 安心:主観的なリスク認知の問題 →客観的な科学的事実とは異なる →あやふやな心の問題 / 市民の感じ方の問題 ・ 安全:客観的なリスクアセスメントの問題 →科学は、リスクを物質に還元し、定量化できる →専門家は、リスクを正しく理解可能 <政府の立場> ・ 科学を、正しく理解できさえすれば、 →「過剰」な不安/風評被害は、払拭できる ・ 科学を分かりやすく伝えるコミュニケーションが重要
安心安全二元論の根拠となったのは 20世紀のリスク認知研究
リスク認知研究を主導したスロビックの学説 安心・安全(主観・客観)二元論の理論的支柱 主観(リスク認知)に影響を与える2つの因子 (Slovic, 1987) ・制御可能か ・世界的大惨事となるか 福島原発事故は 2つの因子すべてが該当 ・致死的か 「恐ろしさ」因子 ・被害が平等にふりかかるか ・子孫への影響があるか ・被害の削減は可能か ・被害が増大しつつあるか ・自発的に引き受けたリスクか 科学的なリスク評価(客観) に対して 一般市民の不安(主観)は「過剰」 になりがち ・被害の発生プロセスを観察できるか ・リスクにさらされていることを理解できるか 「未知性」因子 ・影響は即時的か、それとも後になってから現れるか ・新しいリスクか、それとも馴染みのあるものか ・科学的によく分かっているリスクか 科学コミュニケーション <仮説> 「正しい」科学知識(客観)で 「誤った」過剰さ(主観)を抑制できる
ところが 2000年以降 スロビックの学説(安心安全二元論)は 大幅な修正を迫られた
リスク認知研究の流れ ü 2000年以前 : 理性中心主義 • 客観的なリスク(統計学的な規範解)と、一般人の主観的なリスク認知(不安 の感じ方)のズレを明らかにする ※ いまでも、多くのリスクコミュニケーションは、この学説を前提にしている ü 2000年以降: 意思決定における情動や直感の役割を重視 • スロビック自ら学説を修正 → 2つの思考システムを尊重する「二重過程理論」を提唱 (Slovic, 2007; Slovic et al., 2004) ① 経験的システム: 素人的(日常生活はこれで十分) 大雑把だが、素早い 感情、直感や経験を頼りにし、無意識的 ② 分析的システム: 専門家的 精確だが、時間がかかる 理性、論理を重視し、意識的 2000年以降 一般市民の「過剰」な不安の背後にある合理性を尊重するようになった
何があったのか 1990年代に急速に進歩した情動の脳科学 脳科学者ダマシオの発見 非合理(感情的)に見える人間の言動には 科学的合理性があった
ダマシオの発見とは a <情動関連部位 (前頭前皮質腹内側部)に障害のある人の特徴> ① 知的能力は正常/感情が平坦(情動反応の障害) → 後悔/反省しない(不快感を感じないから) → 社会行動を自分で制御できない ・ リスク認知の異常(自分に不利な選択をする) ・ ルール無視/計画性なし/無謀な借金/罪悪感なし (Bechara A et al., 2000) ② 実験室(理想的条件)では正常だが実生活(不確実性高い)ではダメ → 情動反応(快/不快)がないので、多数の断片的な情報の中から、 重要な情報を素早く優先的に選び出すことができない A あ (Damasio AR, 2005) ダマシオの研究成果: ・ 感情がないと理性は働かなくなる → 意思決定の主役は「不安」(情動反応) ・ 理性による判断は後付けに過ぎない 理性中心主義的な安心安全二元論は 21世紀の脳科学によって完全に否定された
脳科学から見た「不安」(扁桃体の機能) 生命の警報装置 : ・ 危険が身に迫ると扁桃体が活性化 → 不安を感じる → 集中力高まり、対処行動(戦う/逃げる) Evans GW et al., 2016 を改変 → 記憶力向上(学習し、同じ過ちを犯さないよう将来に備える) ・ 他のことに集中していても、扁桃体は無意識に恐怖刺激に反応する ・ 高度な情報処理を行う皮質を取り除いても、扁桃体は活性化する(動物実験) ・ 大雑把 でときに間違うが、素早く反応 する 長い進化の歴史の中で保存されてきた機能:爬虫類/鳥類/哺乳類… ・ 安全/危険を見分ける扁桃体は、生存に必須 ・ 扁桃体が機能しなくなると、危険を察知できず適切な行動が取れない a (Feinstein JS et al., 2011年 他)
脳科学から見た「不安」(扁桃体の機能) 生命の警報装置 : ・ 危険が身に迫ると扁桃体が活性化 → 不安を感じる → 集中力高まり、対処行動(戦う/逃げる) Evans GW et al., 2016 を改変 → 記憶力向上(学習し、同じ過ちを犯さないよう将来に備える) ・ 他のことに集中していても、扁桃体は無意識に恐怖刺激に反応する ・ 高度な情報処理を行う皮質を取り除いても、扁桃体は活性化する(動物実験) ・ 大雑把 でときに間違うが、素早く反応 する 長い進化の歴史の中で保存されてきた機能:爬虫類/鳥類/哺乳類… ・ 安全/危険を見分ける扁桃体は、生存に必須 ・ 扁桃体が機能しなくなると、危険を察知できず適切な行動が取れない a (Feinstein JS et al., 2011年 他)
脳科学から見た「不安」(扁桃体の機能) 生命の警報装置 : ・ 危険が身に迫ると扁桃体が活性化 → 不安を感じる → 集中力高まり、対処行動(戦う/逃げる) Evans GW et al., 2016 を改変 → 記憶力向上(学習し、同じ過ちを犯さないよう将来に備える) ・ 他のことに集中していても、扁桃体は無意識に恐怖刺激に反応する ・ 高度な情報処理を行う皮質を取り除いても、扁桃体は活性化する(動物実験) ・ 大雑把 でときに間違うが、素早く反応 する 長い進化の歴史の中で保存されてきた機能:爬虫類/鳥類/哺乳類… ・ 安全/危険を見分ける扁桃体は、生存に必須 ・ 扁桃体が機能しなくなると、危険を察知できず適切な行動が取れない a (Feinstein JS et al., 2011年 他)
脳科学から見た「不安」(扁桃体の機能) 生命の警報装置 : ・ 危険が身に迫ると扁桃体が活性化 → 不安を感じる → 集中力高まり、対処行動(戦う/逃げる) Evans GW et al., 2016 を改変 → 記憶力向上(学習し、同じ過ちを犯さないよう将来に備える) ・ 他のことに集中していても、扁桃体は無意識に恐怖刺激に反応する ・ 高度な情報処理を行う皮質を取り除いても、扁桃体は活性化する (動物実験) 二重過程理論の ・ 大雑把 でときに間違うが、素早く反応 する 経験的システムと同じ 長い進化の歴史の中で保存されてきた機能:爬虫類/鳥類/哺乳類… ・ 安全/危険を見分ける扁桃体は、生存に必須 ・ 扁桃体が機能しなくなると、危険を察知できず適切な行動が取れない a (Feinstein JS et al., 2011年 他)
脳科学から見た「不安」(扁桃体の機能) 生命の警報装置 : ・ 危険が身に迫ると扁桃体が活性化 → 不安を感じる → 集中力高まり、対処行動(戦う/逃げる) Evans GW et al., 2016 を改変 → 記憶力向上(学習し、同じ過ちを犯さないよう将来に備える) ・ 他のことに集中していても、扁桃体は無意識に恐怖刺激に反応する ・ 高度な情報処理を行う皮質を取り除いても、扁桃体は活性化する(動物実験) ・ 大雑把 でときに間違うが、素早く反応 する 長い進化の歴史の中で保存されてきた機能:爬虫類/鳥類/哺乳類… ・ 安全/危険を見分ける扁桃体は、生存に必須 ・ 扁桃体が機能しなくなると、危険を察知できず適切な行動が取れない a (Feinstein JS et al., 2011年 他) 不安 (情動反応)とは、生命の警報装置(心の問題ではない) 身を守るための全身の反応:自律神経系/中枢神経系/筋肉系/内分泌系/免疫系
「情動の脳科学」の進歩で 病気のメカニズム解明が急速に進んだ 脳科学が明らかにした 「安心安全」二元論の否定=「心身」二元論の否定 心と身体は別々ではない (情動反応は全身の反応) 病気のメカニズム解明に パラダイムシフトが起こった
心と身体(安心と安全)は一体 ü 心の痛み/精神疾患 ⇄ 身体の痛み/生活習慣病 • がん→うつ病のリスク↑ / うつ病→がんのリスク↑ (Spiegel D & Giese-Davis J, 2003) • 心臓病→うつ病のリスク↑ / うつ病→心臓病↑ (Baune BT et al., 2012) ü 心の痛みとは、社会的排除の問題(その人の内面の問題ではない!) • 社会的排除: ① 社会経済格差、 ② 孤立、 ③ 胎児/幼少期の厳しい環境 • 社会的排除→心理社会的ストレス→慢性炎症反応→慢性炎症疾患 ※ 生活習慣病/精神疾患ともに慢性炎症疾患
現代社会の複雑さが生む「病い」 ü ストレッサー(ストレス反応の原因となる刺激)の種類が多いほど、 →炎症反応が増悪、さまざまな病気になりやすい ü シンデミック: 病原体/栄養不良/暴力/社会経済格差などの相互作用 →うつ病/糖尿病/心臓病などを併発、病状増悪 (Singer M et al., 2017) ü アロスタティック・オーバーロード: 子ども時代の過酷な体験の種類(虐待/貧困/親の死…)が多い人ほど、 →炎症関連遺伝子の発現数↑ (Slavich GM & Cole SW, 2013) →がん/心臓病/糖尿病のリスク↑ (Hughes K et al., 2017; Lin L et al., 2021) カギとなるのは、リスクの社会的要因の上乗せによる 慢性炎症反応の増悪=炎症性サイトカイン の過剰発現
生活習慣病の本当の原因 ü いま言われている生活習慣病の原因 • 喫煙 / 飲酒 / 偏った食生活 / 運動不足 間違ってはいない(表面的には) ü 本当の原因は… →社会経済格差 / 差別 / 大災害 / 戦争などの厳しい環境 • 厳しい環境に生まれ育つと、脳が強い刺激を求める →喫煙 / 飲酒が習慣化しやすい / 生活が乱れやすい • 厳しい環境に生まれ育つと、エネルギーを蓄えようとする →肥満になりやすい 自己責任に委ねると、社会から生活習慣病はなくならない
福島原発事故で高まった健康リスク 身体の病は社会の病、社会の病は身体の病 精神 ・不安 現在の放射線リスク ここしか見ていない 放射線の 物理的要因 ・ 酸化ストレス ・ DNAの二本鎖切断 ・ 免疫細胞の染色体異常 ・ 細胞の老化 ・うつ病 ・PTSD : サイトカイン の 血中濃度上昇 身体 ・がん ・心筋梗塞 ・脳卒中 : 放射線の 社会的要因 ・ 非自発性 ・ ふるさと喪失 ・ 人間関係の軋轢 ・ 情報不信 ・ 経済負担 ・ 不公平な補償 ・ 社会経済的格差
福島原発事故で高まった健康リスク 身体の病は社会の病、社会の病は身体の病 精神 ・不安 ・うつ病 ・PTSD : 放射線の 物理的要因 ・ 酸化ストレス ・ DNAの二本鎖切断 ・ 免疫細胞の染色体異常 ・ 細胞の老化 サイトカイン の 血中濃度上昇 身体 ・がん ・心筋梗塞 ・脳卒中 : 現在は 心の問題/避難による不調 などとして扱われている 放射線の 社会的要因 ・ 非自発性 ・ ふるさと喪失 ・ 人間関係の軋轢 ・ 情報不信 ・ 経済負担 ・ 不公平な補償 ・ 社会経済的格差
以上を踏まえて 処理水海洋放出に伴う 健康リスクについて検証する
見逃されてきた 健康リスクの社会的決定要因 ü これまでの被災者の置かれた状況: 社会から排除された (サイトカイン過剰発現)の状態 • 爆発時の恐怖 / 故郷喪失 / 避難先での過酷な体験 / 孤立 / 経済的困窮 →被災者の4割がPTSDの可能性(辻内琢也ら, 2021) ※ PTSD患者: 炎症性サイトカイン(IL-6)の血中濃度が高いことで知られている • 一連の政策: 強制避難区域の避難指示解除 / ALPS処理水など →常に頭越しに物事が決まっていく、と被災者は感じている(受け身の状態) →受け身の状態に置かれ続けると、生活習慣病/精神疾患のリスク↑ 原因:心理社会的ストレスによる炎症性サイトカインの過剰発現 (Marmot M et al., 1997) • 事故責任の所在のあいまいさ / 廃炉の見通しのなさ / 度重なるトラブル →自然災害より人災で健康被害( PTSDなど )が甚大になる原因 (Hull AM et al., 2002; Neria Y et al., 2008; Arnberg FK et al., 2011)
見逃されてきた 健康リスクの社会的決定要因 ü これから被災者 (特に漁業関係者、元強制避難区域の住民)が置かれる状況: 永遠に続く(?)、社会から排除された (サイトカイン過剰発現)の状態 • 処理水海洋放出:実害でなく、風評被害であったとしても →生業が消費者から正当に評価されない(=社会からの排除) →賠償金では償えない(失業への不安/生きがいの喪失) →30~40年後まで賠償してもらえるのか(将来の見通しのなさ) • どれも 生活習慣病 精神疾患 のリスクを高める 放射線も、電離作用で水分子をイオン化、ラジカル発生、炎症性サイトカイン↑ 3.11から10年間、そして、これからもずっと、 受け身の状態に置かれ続ける→サイトカイン↑ 放射線被曝→サイトカイン↑ シンデミック :さまざまな疾患リスクが上昇
放射線被ばくの物理的影響に上乗せされる 健康リスクの社会的決定要因に目を向けよう 「安心」「安全」二元論を大前提にすることで 安全の問題が 物質(放射性物質)に還元できる科学に限定され 物質(人)と物質(人)の間にある 関係の病=「健康リスクの社会的決定要因」が 安心(気の持ちよう)の問題にすり替えられている これも 科学です
漁業関係者の発言: 科学的「安全」と、社会的「安心」は違う 社会的安心は、得られていない 社会的「安心」は、科学的「安全」の問題 健康リスクの社会的決定要因
放射線被ばくの物理的影響に上乗せされる 健康リスクの社会的決定要因に目を向けよう 大 総 合 的 な 健 康 影 響 度 放射線の 社会的影響 ・ 結論ありき ・ 風評被害 ・ 分断 : : 放射線の 物理的影響 小 小 被ばく線量 大
番外編
母親の不安は「過剰」ではなかった ü 科学知識あっても、女性の方が男性より不安を感じやすい • 化学物質の毒性を研究している専門家は、十分な科学知識あるのに… →女性研究者:男性研究者より毒物の健康影響に不安感じやすい (Slovic P et al., 1997) ü 女性は男性より、共感に関わる脳部位 (前部帯状回)の機能が発達している • 妊娠すると、前部帯状回の機能は、より発達する(Hoekzema E et al., 2017) →子どもの痛みを自分の痛みとして感じる共感能力が強化される ü 福島県で低出生体重児が有意に増加 • • 原発事故直後に妊娠した女性から生まれた赤ちゃんに… →低出生体重児が増加/赤ちゃん全体の平均体重も減少 (Hayashi M et al., 2016) 大地震/テロ事件/戦争後に低出生体重児が増加した場合は… →標準体重の赤ちゃんも、大人になってから生活習慣病に (Roseboom TJ et al., 2003) →原因は、大災害による心理社会的ストレスか →日本全国で多い低出生体重児(低栄養が原因)と同列に扱えない 少なくとも約3万人 (当時、胎児乳児だった人) 地震/津波/原発事故の影響で 生活習慣病/精神疾患のリスク↑ その後も続く大災害 台風、豪雨、県沖地震、新型コロナ ⇨ アロスタティック・オーバーロード ⇨ シンデミックの可能性
母親の不安は「過剰」ではなかった ü 科学知識あっても、女性の方が男性より不安を感じやすい • 化学物質の毒性を研究している専門家は、十分な科学知識あるのに… →女性研究者:男性研究者より毒物の健康影響に不安感じやすい (Slovic P et al., 1997) ü 女性は男性より、共感に関わる脳部位 (前部帯状回)の機能が発達している • 妊娠すると、前部帯状回の機能は、より発達する(Hoekzema E et al., 2017) →子どもの痛みを自分の痛みとして感じる共感能力が強化される ü 福島県で低出生体重児が有意に増加 • • 原発事故直後に妊娠した女性から生まれた赤ちゃんに… →低出生体重児が増加/赤ちゃん全体の平均体重も減少 (Hayashi M et al., 2016) 大地震/テロ事件/戦争後に低出生体重児が増加した場合は… →標準体重の赤ちゃんも、大人になってから生活習慣病に (Roseboom TJ et al., 2003) →原因は、大災害による心理社会的ストレスか →日本全国で多い低出生体重児(低栄養が原因)と同列に扱えない ü 胎児 /乳幼児期に受けたストレス、孫にまで影響残ることも • 第二次世界大戦中のオランダ「冬の飢餓事件」などで実証済み (Stein AD & Lumey LH, 2000) →広い意味で、母親の不安(子孫への原発事故の影響)は的中していた
ご清聴ありがとうございました 拙い説明で分かりにくかったかもしれません 興味を持たれた方は、ご連絡ください [email protected] なお、詳細は以下の拙著にまとめてあります 『なぜ社会は分断するのか ─情動の脳科学から見たコミュニケーション不全』 (2021年3月11日刊, 専修大学出版局)