応答の欠如ほど恐ろしいものはない

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July 30, 26

スライド概要

応答の欠如ほど恐ろしいものはない
——バフチンから考える対話の質、そしてナラティヴ実践との接点

「言葉にとって(それゆえに人間にとって)応答の欠如ほど恐ろしいものはない」——バフチンのこの一文は、しばしば議論の出発点として引かれる。だが原文では、これは「言葉の本性から帰結する」結論として置かれている。ここでは、その足元にある層を掘り下げ、対人支援における対話の質を考える。

バフチンにおいて、応答の欠如は「無」ではなく「物化」である。彼はこう書いている——対話的活動が弱まった瞬間に、相手は凝固しはじめ、単なる物になる、と。ポリフォニーは自然に生じる状態ではなく、そのつど作り出されるものであり、既定値はむしろ独白のほうである。

ここから三つの要求が導かれる。相手について語らず、相手に語りかけること。融合せず、自分の位置に戻ること。相手を完結させないこと。そして問いはひとつ——その対話を経て、自分の位置は動いたか。

ただしバフチンには発話の倫理はあるが、場の政治学はない。最後に、その欠落をフーコー経由で埋めるマイケル・ホワイトの「脱中心的でありながら影響力を持つ」姿勢との接点を検討する。

本要旨および本スライドは、Claude(Anthropic)を用いて作成しました。

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ナラティヴ実践協働研究センター(NPACC)は、心理カウンセリング手法の一つである「ナラティヴ・セラピー」の日本における専門拠点です。カウンセリングの提供や、初学者から専門家向けのワークショップ・トレーニングコースの運営、研究活動を行っています。

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各ページのテキスト
1.

バフチンを読み直す 言葉にとって——それゆえに人間にとって—— 応答の欠如ほど恐ろしいものはない 対人支援における対話の質をめぐって/ナラティヴ実践との接点

2.

出典表記について 本スライドの引用元 『詩学』 … バフチン『ドストエフスキーの詩学の諸問題』 (Minnesota, 1984/頁は英訳版) 『ジャンル』 … バフチン『ことばのジャンルと他の後期論考』 (Texas, 1986/頁は英訳版) 引用はすべて要約・訳出。頁数は本スライド末尾にも一覧を掲載。 2

3.

結論を先に 対話は、こちらの活動が止まった瞬間に消える。 そして消えたときに起きるのは沈黙ではなく、 目の前の人が物になることである。 以下、この一行の中身を順に置いていきます。 3

4.

PART 1 出発点を正しく置く あの一文は、前提ではなく結論だった 4

5.

よく引かれる一文 言葉にとって(したがって人間にとって) 応答の欠如ほど恐ろしいものはない For the word (and, consequently, for a human being) there is nothing more terrible than a lack of response. Для слова (а следовательно, для человека) нет ничего страшнее безответности. 『ジャンル』127頁/英訳 V. W. McGee/露語原著(1979) 多くの場合、ここから議論が始まります。 5

6.

しかし、原文はこう続いている これは、言葉の本性から帰結する。 言葉は常に聞かれることを欲し、 常に応答的理解を求め、 理解のところで止まらず、さらに先へ進んでいく。 言葉にとって、応答の欠如ほど恐ろしいものはない。 This follows from the nature of the word, which always wants to be heard, always seeks responsive understanding, and does not stop at immediate understanding but presses on further and further (indefinitely). 「帰結する」——つまりこれは結論です。 6

7.

下には四つの層がある ① 発話論 『ジャンル』76・99頁 発話の完結を判定する第一の基準は、それに応答できることである。 宛先性は発話の構成的標識であり、それなしに発話は存在しえない。 ② 存在論 『詩学』252頁 あることは対話的に交流することを意味する。一つの声は何も解決しない。 二つの声が、存在の最小限である。 ③ 自他論 『ジャンル』7頁 人は自分の外貌を全体として見ることができない。鏡も写真も役に立たない。 私たちの本当の外貌は、他の人々によってのみ見られ、理解されうる。 ④ 倫理 初期論考(『行為の哲学によせて』ほか) 「私はそこにいなかった」と言う余地は、誰にもない。 私はこの場所を占めており、そこから応答するほかない。 (バフチンの語では「存在におけるアリバイのなさ」) ロシア語で応答 ответ と責任 ответственность は同じ語根。 7

8.

だから「恐ろしい」 応答がないことが恐ろしいのは—— 寂しいからではない 傷つくからでもない そこに置き去りにされると、 人は自分の輪郭を受け取れないから。 8

9.

そして、さらに踏み込んだ一節 彼らについて考えるとは、彼らと話すことを意味する。 さもなければ彼らはただちに自分の対象化された側面をこちらへ向ける—— 彼らは黙り込み、閉じ、完成した対象的なイメージへと凝固する。 『詩学』68頁 9

10.

応答の欠如とは 「無」ではなく「物化」である 10

11.

第一の含意 何もしないことは、中立ではない 活動の停止それ自体が、対象化として作用する 控えることは、控えることにならない 放っておかれた人は解放されるのではなく、物になる 11

12.

PART 2 対話は状態ではない 意志によって支えられ、手を止めれば途切れる 12

13.

独白が既定値である 世俗化した対話論が落としたのは、たぶんここです。 バフチンにおいて、独白は既定値・対話は例外 権威的な言葉は「いたるところに広がり、思考と生きられた経験を 制限し、方向づけ、遅滞させてきた」(『ジャンル』133頁) ポリフォニーは自然に生じる状態ではなく、 そのつど作り出されるものである 13

14.

バフチンが書いていること ポリフォニーの芸術的意志とは、多くの意志を結合しようとする意志であり、 出来事への意志である。(『詩学』21頁) 新しい作者の位置は勝ち取られ、征服される。(同18頁) 作者の対話的活動なしには、新しい作者の位置は実現されえない。(同67頁) ポリフォニー小説の作者には、巨大で緊張した対話的活動が要求される。(同68頁) 「意志」「勝ち取る」「要求される」——すべて能動の語彙です。 14

15.

作者は消えない 作者の意識は、ポリフォニー小説のなかに 絶えず、どこにでも現れており、最高度に能動的である。 ただしその機能と、活動の形式が違う。 作者は自分の意識を放棄することを求められてはいない。 しかしそれを拡げ、深め、組み替えなければならない—— しかも特定の方向へ。 『詩学』68頁 15

16.

手が止まれば、固まる この活動が弱まった瞬間に、 人物たちは凝固しはじめ、単なる物になる。 『詩学』68頁 対話的な場は保存されません。 前回できたことは、今回の担保になりません。 16

17.

ただし、基準は完璧さではない そうした独白的な塊は、 ドストエフスキーのすべての小説のなかに見出される。 『詩学』68頁 ドストエフスキーですら、常時は維持できていない 基準は、凝固に気づくこと 気づける人は、まだ手が止まっていない 17

18.

PART 3 三つの要求 そして、なぜそれが難しいのか 18

19.

三つの要求は、職業的反射と逆を向く バフチンの要求 典拠 衝突する職業的反射 語りかける 「について語る」をやめる 『詩学』68・252 見立て・アセスメント 事例報告・記録 自分の位置に戻る 融合しない 『ジャンル』7・165 共感・傾聴 「わかります」 完結させない 終わらせない 『詩学』59・293 『ジャンル』127 結論・方針 成果・終結 難しいのは抽象的だからではありません。 訓練されたものと衝突するからです。 19

20.

① 語りかける 人に接近し、その人自身に開示させることができるのは、 その人に対話的に語りかけることによってのみである。 『詩学』252頁 三人称での記述は、それ自体が凝固の技術 ケース会議で語られているとき、その人は黙り込んでいる 20

21.

② 自分の位置に戻る 他者の世界に入ることは理解の必要な一部である。 しかしそれだけなら、単なる複製にすぎず、 新しいものも豊かにするものも何ももたらさない。(『ジャンル』7頁) 正確さとは、他者の他者性を、 自分のものに変えてしまうことなく乗り越えること。(同165頁) 共感で止まった応答は、バフチンの基準では理解ですらありません。 21

22.

③ 完結させない 人は決して自分自身と一致しない(『詩学』59頁) 独白は究極の言葉であるふりをする(同293頁) この深さに到達すること——高さや広さではなく(『ジャンル』127頁) 声の数を増やすことは、ポリフォニーではありません。 一人ひとりへの活動が薄まれば、全員が同時に凝固します。 22

23.

PART 4 ひとつの問い 動いたのは、誰か 23

24.

一人でできる、ただひとつのたしかめ 位置が独断的に硬直しているときにだけ、 何も新しいものが明かされない。 独断家は何も得ない。豊かにならない。 理解の行為においては闘争が起き、 それは相互の変化と豊饒化に帰結する。 『ジャンル』142頁 24

25.

三つの失敗は、同じ症状を出す 失敗形 何が起きているか 語り手の位置は 迎合 その場の受けを取りにいく 動かない(管理しただけ) 融合 相手に溶ける 動かない(写しただけ) 完結化 最終語を下す 動かない(判定しただけ) その対話を経て、自分の位置は動いたか。 25

26.

権力は、不在ではなく保留である 作者の意識は他者を対象に変えず、 完結させる規定を与えない。(『詩学』68頁) 作者は完結させる力を実際に持っている ポリフォニーの条件は権力の不在ではなく、特定の使用の保留 「私に権力はありません」は、条件を満たすどころか 条件が成立する前提を消してしまう 26

27.

PART 5 限界 ここまでは、すべて一人称の倫理である 27

28.

バフチンの語彙にないもの 三つの要求もこの問いも、自分の言葉を自分でたしかめる形をしています。 一方、次のことは彼の語彙に一語もありません。 誰がその場にいるか 誰がその場を招集したか 誰が語る資格を持つと見なされるか 誰の言葉が応答として数えられ、誰の言葉が資料として扱われるか 28

29.

その欠落は、あの一文の文法にも現れている Для слова (а следовательно, для человека) нет ничего страшнее безответности. 露語の「нет …」構文に主語は存在しない(無人称文) 示されるのは経験する側(言葉/人間)だけ 応答しない側は、一語も名指されていない безответность(応答のなさ)は、誰かの行為ではなく、 天候のように「生じる状態」として置かれています。 名指される者がいなければ、問われる者もいない。 ※ ответ(応答)/ответственность(責任)/безответность は同じ語根 29

30.

彼が持っている権力論と、その限界 持っているもの——「言葉のなかの権力」 権威的言葉は反論不可能で無条件であり、 引用されうるだけで、 それ自身が同等の権利を持つ応答の一つにはなれない。(『ジャンル』133頁) 持っていないもの——「場のなかの権力」 彼の解決(超宛先人・大いなる時間)は形而上学的です。 すべての言葉が結局は聞かれていると保証すると、 この部屋で誰も聞かなかったという事実が見えにくくなる。 30

31.

欠けているのは 質の理論ではなく、配置の理論 31

32.

PART 6 ナラティヴ実践との接点 欠けたところに、それは置かれている 32

33.

二つの定義文を並べる マイケル・ホワイト「脱中心的でありながら影響力を持つ」 「脱中心的」はセラピストの関与の強度を指すのではない。 相談に訪れた人々の物語と知識と技能に優先性を与えるという達成を指す。 バフチン『詩学』68頁 作者の意識は最高度に能動的である。 ただしその機能と、活動の形式が違う。 関与を減らすのではない。関与の機能を変える。 33

34.

「脱中心的だが影響力を持たない」象限 ホワイトが最も警戒した象限です。 相手の話を優先しているようで、何も足場が組まれない。 バフチンの語彙では——対話的活動が弱まった状態。 そして活動が止まった結果として起きるのは、 自由な語りではなく凝固である。 34

35.

thin conclusion と「完結させる規定」 ホワイト バフチン thin conclusion(薄い結論) 又聞きの、完結させる規定 行為から人格への飛躍 「人は決して自分自身と一致しない」 厚い記述へ 深さへ(高さや広さではなく) ほぼ同じものを指し、処方も同じ方向を向いています。 35

36.

外部証人の四段階=創造的理解の手順 段階 問い バフチンでは 表現 どの言葉に耳が留まったか 聴くこと イメージ それは何を思い描かせたか 入ること 共鳴 自分の人生の何が呼ばれたか 自分の場所へ戻ること 移動 自分はどこへ運ばれ、どう変わったか 持ち帰るもの そして「あなたはどう変わりましたか」という移動の問いは、 『ジャンル』142頁のあの問いを、臨床の質問文にしたものです。 36

37.

そして、フーコー ホワイトは、問題が構造的不平等の文脈で形づくられること、 社会的階層内の位置が問題の生成に直接影響すること、 セラピーが政治的行為であることを理論の中心に据えました。 バフチンに欠けていた第四軸——配置の理論——を、 ナラティヴ実践はすでに持っています。 37

38.

収斂であって、影響ではない ホワイトの主要な源泉はフーコー・デリダ・ブルーナー・ マイヤホフ・ヴィゴツキー・ターナー バフチンは主要な引用元ではない それでも重なるのは、同じ袋小路に別ルートで入ったからです。 「規範的判断を押しつけたくないが、 中立に参加することは不可能である」—— この行き止まりを、両者は別々に掘り抜きました。 38

39.

逆向きの警戒 バフチンは方法を書けませんでした。 方法は相手の応答をあらかじめ規定してしまい、 それは彼の定義では独白だからです。 地図は、標準化され手順として運用された瞬間に、 権威的言葉に転化しうる。 引用されうるが、それ自身は同等の権利を持つ 応答の一つにはなれない言葉が、その場にないか。 39

40.

結び 「対話を提供する」——この言い方は、少し危ういのだと思います。 提供されるのは対話ではなく、活動です。 そして活動は、手を止めれば途切れます。 応答の欠如が最も恐ろしいのは、 そこに何もないからではない。 そこで人が物になるからである。 40

41.

出典一覧 バフチン『ドストエフスキーの詩学の諸問題』 Bakhtin, M. (1984) Problems of Dostoevsky's Poetics. Trans. C. Emerson. Minneapolis: University of Minnesota Press. 18・21・59・67・68・252・293頁 バフチン『ことばのジャンルと他の後期論考』 Bakhtin, M. (1986) Speech Genres and Other Late Essays. Trans. V. W. McGee. Austin: University of Texas Press. 7・76・99・127・133・142・165頁 バフチン初期論考(邦訳)『ミハイル・バフチン全著作 第1巻』水声社, 1999. マイケル・ホワイト White, M. (2007) Maps of Narrative Practice. New York: W. W. Norton. White, M. (2011) Narrative Practice: Continuing the Conversations. New York: W. W. Norton. 41