江戸時代に和歌山で見られた彗星

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December 15, 24

スライド概要

天文教育普及研究会近畿支部会にて発表したスライドです。
※一部削除している項目があります。

発表内容は報告者個人の見解に基づくものであり、発表者が所属する組織の公式見解ではございません。
また、内容に誤りがある可能性があります。ご了承の上閲覧ください。

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各ページのテキスト
1.

江戸時代に和歌山で見られた彗星 みさと天文台/和歌山大学観光学研究科(専門職) 米澤 樹

2.

米澤 樹(よねざわ たつき) • みさと天文台 研究員 • 紀美野町教育委員会 主事 • 和歌山大学観光学部9期生※2019年卒業 • 和歌山大学観光学研究科(専門職)観光地域 マネジメント専攻 専門職学位課程 • クリエ 星空継続観測プロジェクト • 日本公開天文台協会 理事 • 調査研究委員会 • サーバー維持管理委員会 • 公開公開天文台100周年記念事業委員会 • 公開公開天文台100周年史編纂WG • 米沢市観光大使 2

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C/2023 A3 紫金山・アトラス彗星 2024/10/14撮影

4.

• 彗星は遠くからやってくる • 基本的には突然現れる =>運がいいとたくさん見られ る

5.

江戸時代の彗星 • 江戸時代は明るい彗星が多かった • もちろん光害(町明かり)が少ないことも影響している • 時計や方位磁石がないのもあり、夜空を今以上に見ていたと思う • 一方、義務教育がなかった江戸時代で彗星はどのようにとらえられてい たのか。 =>小梅日記にも記述があるのでは 人々はどんな反応をしているのか 上越市(2020),「昔の上越の人々が見た天文ショー」

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小梅日記 • 和歌山県の藩校学習館督学(川合梅所)の妻、 川合小梅(1804年~1889年)の日記 • 嘉永2年(1849年)から明治16年(1883年)までの約34年間に わたって書かれた14冊の記録 • 欠損部分もある。 • 藩や政府の公式的な記録とは違い、当時生きていた人たちの生 活様式を知るための貴重な資料 • 2024年は川合小梅生誕220年、そして没後135年の記念の年 • デジタルアーカイブ:和歌山県立図書館 和歌山県ふるさとアーカイブ(n.d.)「教養人・画人 川合 小梅(かわい こうめ)」

7.

小梅日記に出てくる彗星 下記の彗星の記述&絵が見つかった。 1. クリンカーヒューズ彗星(C/1854 L1) 2. テバット彗星(C/1861 J1) 3. 1882年の大彗星(C/1882 R1)

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クリンカーヒューズ彗星(C/1854 L1) • 嘉永6年7月22日(1853/8/26) • お盆の後から見えるようになったと聞いて、見てみたところ、宵の ころ薄く白く見えた。午後8時頃(5つ過ぎ)には沈み、見えなく なった。1間ばかりに見える。1間=6尺=2°くらい • 近日点近くかつ、月明かりがない夜であるが、夏のため薄明が遅 く、少し条件が悪かったようである。それでも薄く白く見えていた というのは大彗星であったと言えるだろう。 • -0.5等級 長野市立博物館(2013)「岩崎博秋が記録したドナチ彗星 伊那市立歴史博物館蔵」『博物館だより』86,P1-2 川合小梅,志賀裕春,村田静子(1974)「小梅日記: 幕末・明治を紀州に生きる (1)」 ,東洋文庫

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C/1854 L1 クリンカーヒューズ彗星 -0.5等級 10度 いぬい=北西 ステラナビゲータ/株式会社アストロアーツ

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C/1854 L1 クリンカーヒューズ彗星 -0.5等級 10度 ステラナビゲータ/株式会社アストロアーツ

11.

テバット彗星(C/1861 J1) • 万延2年5月24日(1861年7月1日)と6月16日(7月23日) • 彗星が見られる時間に月明りが無かったこともあり、先の彗星よ りも大きく描かれているため、非常に大きな印象を与えたのだろ う。4、5間(=8~10°)ばかりに見えた。 • 彗星を見て毒害があると言う人、大地震や大雨の前触れと言う 人もいる一方、稀に豊年星と言っていたようである。 • 彗星の正体がまだほとんどわかっていなかった当時、非常に奇妙 な現象に思えたことがわかる。 • 16日には見えなくなったとあるが、この長期間にわたり肉眼で見 られたと言うのはこれまでに例がないほどの非常に明るい彗星で あったことがわかる。 川合小梅,志賀裕春,村田静子(1974)「小梅日記: 幕末・明治を紀州に生きる (1)」 ,東洋文庫

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C/1861 J1 デバット彗星 -0.8等級 10度 ステラナビゲータ/株式会社アストロアーツ

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C/1861 J1 デバット彗星 -0.8等級 10度 ステラナビゲータ/株式会社アストロアーツ

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1882年の大彗星(C/1882 R1) • 明治15年10月8日(1882年10月8日)にこの記述と絵がある。 朝方見えたようであり、鮮やかと言う記述がある。デバット彗星と 異なり、豊年星としての記述しかないのは興味深い。それだけデ バット彗星が大きく気味悪く見えたのだろう。 • 2間半(=約5°)ぐらいに見えた。 • 当時の状況を天体シミュレーションソフト「ステラナビゲーター 11」で再現したところ、小梅日記の絵と同様に三日月様の月と彗 星があることがわかる。 川合小梅,志賀裕春,村田静子(1975)「小梅日記: 幕末・明治を紀州に生きる (3)」 ,東洋文庫

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C/1882 R1 1882年の大彗星 3.9等級 10度 ステラナビゲータ/株式会社アストロアーツ

16.

C/1882 R1 1882年の大彗星 3.9等級 10度 ステラナビゲータ/株式会社アストロアーツ

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紫金山-アトラス彗星(C/2023 A3)は

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C/2023 A3 紫金山・アトラス彗星 1.1等級 10度 ステラナビゲータ/株式会社アストロアーツ

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まとめ • 小梅日記をから、和歌山県の彗星記録が3件見つかった。 • 絵も記録として概ね正しそうであるため、少し参考になると思う が、他の星を書いていないため、大きさ等は不明である。 • 江戸時代の普通の人の彗星に対する反応がわかった。 その頃の教育について 紀州藩学習館 • 1791年 朱子学、儒学、国学 • 1856年 語学(オランダ語、英語、フランス語)、兵学の授業 • 1870年 英文法、地理、物理、化学、歴史等の洋学教育 木本毅(2019)「近世紀州の学問の成立 ― 紀州徳川家と藩校教育の思想と歩み ―」 ,『信愛紀要』(60)

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まとめ、感想 • 彗星は悪いことの前触れと言うのは江戸時代だからこその非科学 的な発想だと思っていたが、非常に大きな彗星に驚愕し、考えた 発想であり、現代でも起こり得そうな考えであると思い、科学の あり方を少し見直す機会となった。 • 義務教育が制度としてないのに、普通の人が彗星を観察している と言うのは現代よりも天文に興味が持てていたのかもしれない。 • 自然がどれだけ身近なのかが起因している可能性がある