【おねがい】この資料は,広島大学大学院 人間社会科学研究科 2023年度 2ターム「外国人児童・生徒の教育課程デザイン特論」(南浦涼介 担当)の授業で行ったが受講大学院生たちの発表資料です。 Grace Onchwari, Jared Keengwe (2019). Handbook of Research on Engaging Immigrant Families and Promoting Academic Success for English Language Learners, IGI GLOBAL の研究ハンドブックのいくつかの章を選んで発表したものです。 教育的価値,資料的価値としてウェブでの掲載を行っておりますが,いわゆる「論文」ではありませんので,論文等への引用や掲載は固くお断りい たします。また,分析対象の著作権は著 作者,資料文書の著作権は発表者に記しますので,無断転載はご遠慮ください。 質問については,広島大学南浦研究室(http://minamiura-lab.com)までお願いいたします。 2023 外国人児童・生徒の教育課程デザイン特論 発表日付 2023 年 7 月 7 日 発表メンバー ●法● ●越●● ●●●士 授業実践における英語学習者に対する捉え方 -Resource vs. Deficit 1 著者情報 ・名前: Heeok Jeong、 ・職位: Stephen F. Austin State University の Assistant professor ・研究のキーワード: 言語、リテラシー文化、人種、教育の平等、アイデンティティ ・主な著書・論文: Jeong, H. (2021a). Agency and pedagogy in literacy education: Toward culturally sustaining pedagogy for immigrant adolescents. Journal of Asian Pacific Communication、 31(1)、 79-99. ( 「識字教育における主体性と教育法:移民の青少年のための文化的に持続可能な教育法に向けて) Jeong, H., & Eggleston, L. (2021b). Reflections on co-teaching and collaboration: Communication、 flexibility, and congruence. In Effective Teacher Collaboration for English Language Learners (pp. 42-61). Routledge. (co-teaching と(教師)連携についての考察:コミュニケーシ ョン、柔軟性、一致) Jeong, H. (2013). Exploring the spaces of culturally relevant pedagogy: The discursive (trans) formation of the pedagogical practices of two teachers of English language learners. The University of Utah.(文化的に適切な教育法の空間を探る: 人の英語学習者教師の教育実践の言 説的形成) 2 文献の目次構成 要約 はじめに 背景 1
理論的視点 欠損観(Deficit view)と資質観 (Resource view) 、そして教育実践 方法 調査結果 ケース 1:ジョンソンさん ELL の資質観(Resource view) : 「彼らは素晴らしい、彼らは素晴らしい!」 教室での知識の共有生産 ケース 2:スミスさん ELL についての欠陥観 (Deficit view) : 「ELL は英語を学んでいるだけでなく、その多くが学校での社会的スキルを学ぶ必要がある」 教室での英語の音の繰り返し:“みんなにブラッディと言わせてみよう!“ 結論と含意 参考文献 3 文献の要約 3.1 はじめに ・ジョンソン先生の教室では、前の扉の上に「ジョンソン先生の ESL 教室:新たな知識に挑戦 し、理解せよ」と書かれてあった。後ろのドアの壁には、ガンジーの絵とともに「目には目をは すべての人を盲目にする」と書かれてあり、教室後方の黒板にはアインシュタインのポスターが 貼られ、 「私には特別な才能はない。ただ好奇心が旺盛なだけだ。 」という引用があり、そのポス ターの隣には、黒人の手と白人の手の握手の写真とキング牧師の「人生において最も永続的で緊 急の問いかけは『他人のために何をしているか』だ」と書かれていた。 ・一方で、スミス先生の教室では、机と椅子が正面を向くように配置されており、上のほうの壁 にはカラフルな絵やキャプションのついたポスター(アスリートの「負けたら終わりではなく、 やめたら終わりだ」という写真やチョコレートの広告など)が多く飾られていた。言語的・文化 的に多様な生徒が学ぶ教室ではなく、アメリカのカフェにいるような感じがするものであった。 ・このように、2人の教師は ELL に対する見方や考え方が正反対であった。 3.2 研究の背景 3.2.1 理論的視点 ・都市部の学校における有色人種の生徒とその同級生との間の学力差は、効果的な教師の 4 つの 特徴である「すべての生徒に対する高い期待、指導における文化的一致、教師の知識、教師の戦 略」 (Zeichner 2003、 p.99)によって縮められることが実証されている。 ・しかし、白人の現職教員や実習生の多くが異文化体験がほとんどなく、マイノリティの生徒に 対して欠陥観(Deficit perspectives)を持っていることが判明している(Sleeter、 1994)。 ・本研究では、教授と学習を社会的相互作用の中で、またその相互作用を通して起こるものとみ なす理論的視点(Vygotsky、 1978)を活用し、教室内の教師が教室の風土を決定する重要な要素 2
であるとみなす。 3.2.2 欠損観 (Deficit perspectives) 対資源観(Resource view)と教育学的実践 ・近年、文化人類学は不登校の原因に焦点を当てるのではなく、マイノリティの生徒が学校で成 功する理由に焦点を当てるようになってきている。たとえば、マイノリティ民族家族の育児スタ イルや家族慣行に関する主流の見方を、これまでは欠陥の方に目を向けられることが多かったが、 そのような欠陥の視点から価値ある資源を肯定的に捉える視点へと方向付けた。 ・このようなパラダイムシフトにより、マイノリティのエスニックコミュニティの実践の強みを 生かすことができるようになった。 ・学習者に関する教師の信念は、指導の中で暗黙的・明示的に表現される。 ・教師は教科に関する知識を教室の多様な状況に応じて流動的に適用する。 ・そして、最終的には生徒の学校でのパフォーマンスに影響を与える。 ・知っていること(knowing)とやること(doing)は異なるので、実際の関係性のある教室の文脈の 中で検討されるべきである。 ・そこで本研究では、言語的・文化的に多様な生徒に対する ELL 教師の見解と授業実践との関係 を探り、解明することを目的とする。 3.3 方法 ・スミス先生は8年生(メキシコと南米出身 11 人、アフリカ出身男子生徒1人)を、ジョンソン 先生は 9 年生(プエルトリコ、メキシコ出身など 19 人)の ESL クラスを担当し、両クラスともア メリカに住んで8か月から5年目までの ELL が対象となる。英語レベルはそれらの学校の4つの レベルのうちの2番目に収まっていた。 ・1年を通して毎回行われた授業観察、4回のフォーマルなインタビューと時折のインフォーマ ルなインタビューからデータを収集した。 ・それらは、音声とビデオに録音され、文字起こしし、ELL や授業実践に関する教師の暗黙的・ 明示的な見解のパタンを捉えるために、帰納的分析を用いて分析した。 ・データは飽和状態に達したため、三角測量のため、ELL と ELL 教育法に関する中核的な概念 カテゴリに関する言説、相互作用、プロセス、活動、出来事に焦点をあて、核となるテーマに関 連するデータを、批判的談話分析を用いて分析した。 3.4 調査結果 ケース1:ジョンソン先生 一言要約 ジョンソン先生は、ELL をインターナショナルで多言語的な存在として評価している。また、 授業実践において、常に ELL が持っているもの、考えていること、経験したこと、やりたいこ とを把握し、それを活用している。 3
ELL の資質観(Resource view): 「彼らは素晴らしい、彼らは素晴らしい!」 ◯ELL の資質について -ELL は優秀であるがゆえに、戦争を経験したトラウマや、何度も家を追われた不安もある -ELL がクラスで学習者のコミュニティを作るのが難しいのは、ELL の持つ資質、また母国や 言語レベルを考慮することなく一つの教室に入れてしまう学校制度に問題がある -多くの文化的背景と考えを持った者たちが一つの空間にいるためにコミュニティを作るのが 難しい →ELL が優秀で、いかにインターナショナルかつ多言語的な存在かを強調している →コミュニティを作るのが難しいのは ELL のせいではなく学校制度のせい ◯ジョンソン先生の教師観 -教師は生徒の学業不振を責めるのではなく、生徒の学習に責任を持つべき。もし生徒が授 業で学ばなかったとしたら、それは教師の責任 →学習における教師の重要性 -「なぜ私はここにいるのか」 「なぜ私はこれをやっているのか」 自分が進歩していないこと、自分が時間を無駄にしていることは 12 歳でも 100 歳でも分かる →“なぜ”という自問自答から、いかに授業を反省し、行動しているかが分かる ◯ELL とネイティブの生徒との違い -ELL はただ学びたいだけの熱心な学習者であるが、ネイティブの生徒は学習より成績に関心 -ほとんどの ELL は理解したいだけで成績など考えていない →成績に関心があるネイティブの生徒と比較し、ELL を「熱心な学習者」と褒める ◯ELL の人生経験の豊かさと多様さが授業にもたらす影響 -世界のさまざまな地域で暮らしたことのある人たちが教室に豊かな経験をもたらしてくれる 【例】授業でサソリの写真を見せた時、ELL がケニアにいた時にサソリが出てきた話をした 私(ジョンソン先生)はサソリを見たことがない 【例】 「内戦」のトピックを持ち出せば、英語の限界がありながらもメキシコからスーダン に至るまで、ELL の生徒たちは意見を持っている →ELL がいかに優秀かについて言及することを忘れることなく、 ELL が自分(ジョンソン先生)には持ち得ない様々な経験を持っていることを立証 ↓↓以上を踏まえ…↓↓ ◯まとめ -ジョンソン先生は一度も ELL が持っていないもの(英語力の欠如、アメリカ文化規範への無 知、授業態度など)を強調することはなかった -ジョンソン先生は、ELL の資質を強く信じている 4
→だからこそ教室の内外で、生徒の声を自分の声よりも大きく聞かせること、ELL が自分の考 えや生活体験を話しやすくするよう継続的に試みること、そして彼らの知識リソースと彼女 が教えようとする概念とを結びつけることをしている →ジョンソン先生は教育実践の中で自身の ELL の資質への見方を示している 教室での知識の共有生産 ◯ジョンソン先生の授業について -19 人のクラスの参加者全員と教師のジョンソン先生によって知識の生産が行われた -知識の生産は、教師から生徒へ直接伝達されるのではなく、ジョンソン先生と生徒の対話 や、探索的な会話における教師の偶発的な質問を通して、生徒の間で共同構築された -授業の中で何をすべきか、どのように課題をこなすべきかを生徒に指示するのではなく、生 徒の生活体験や会話に基づいた相互の問答のプロセスの中で、あるいは、そのプロセスを通し て、構築された ◯具体的な授業実践 【例1】授業の冒頭でのジョンソン先生の指示 T:…では、パートナーと一緒に、人種差別的な発言について話してほしい。あなたが言 ったこと、あるいはあなたが聞いたことで、私たちが見た例のような、良いものは何で すか?自分の考えをクラスで話し合う準備をしてください。OK、どうぞ。 →人種差別とは何か、人種差別が人間の生活にとっていかに有害かを説明しようしていない 【例2】人種差別の意味について T:悪いことの、それも悪いことの。それは悪いことのいい例だね。他に何かあるかな。 ティナ、何かいいことを聞いた? S1:アジア人は頭がいいという人もいます。 T:ああ、彼女が言ったことを聞いたかい、ソフィア?彼女は何て言ったの? S2:うーん、うーん。 T:聞いて、よく聞いて。ティナ、もう一度言ってごらん。 S1:アジア人は頭がいい。 <中略> S10: バスケットボールでは、白人は黒人よりシュートがうまい。 T:ああ、聞いたことがあるの? S11: ああ。Nuh ah. T:いいよ。よし、先に進もう。先に進みましょう。人種差別は、いい意味でもあるし、 よくない意味でもあることを覚えておこう。 5
→ションソン先生は授業では権威的な立場をとらず、生徒の生活体験を生かそうとしている →生徒同士の話し合いを促し、生徒の話し合いを促進する努力を続け、生徒から出された例 を用いて人種差別の意味を教えようとしている 【例3】相互的人種差別について S19: 君がメキシコから来たとき、ある人たち、たとえば白人は、君を wet-bag と呼 ぶ。 T:ああ、前に聞いたことある? S19:あるいは beans って呼ばれることも T:beans と wet-bag。 Ss:だから僕たちは白人たちを white cracker って呼ぶんだよ。 T:そうね、それがどういうものなのか、これから学ぶよ。「相互的人種差別」というん だ。それについて学ぼう。 →ジョンソン先生の授業では、人種差別についての人生経験を対話で交換する中で、帰納的に 「相互的人種差別」の定義が生み出されている →ジョンソン先生の授業で ELL は「すべてのものは、偉大な全体の一部分として、意味を持ち、 理解される−意味の間には絶え間ない相互作用があり、そのすべてが他者を条件づける可能性 を持っている」(バフチン 1986,p.428)ものとして捉えられている 【例4】コミュニティの定義について 1 T: ディエゴ、君は定義があると言っているね。君が知っていることを使って、良い定 義を作ろう。君の意見は? 2 A: あの。一緒に活動する人の 1 つのグループ。 6 T: ソフィア(仮名)に聞こえるように、もう一回言ってみて。 7 A:一緒に活動する人の 1 つのグループ。 8 T:すごくいい。すごくいい。ディエゴの定義の一部を使ってみるよ。素晴らしいね! 私たちにも一緒に活動する仲間がいる。 →8ターン目「すごくいい。すごくいい」 「素晴らしい」からどれだけディエゴの定義に感銘を 受けたかが分かる →また、感銘を受けたことを表現することによってジョンソン先生とディエゴの間に信頼関係 が築かれつつある ↓↓以上を踏まえ…↓↓ ◯まとめ -ジョンソン先生のクラスでは、ELL たちは、よりよい社会づくりに関連した知識を共有するた めに、経験したことや考えたことを言語化し、交換し、発表することを常に求められていた 6
→すなわち、教師と生徒は「他のテキストや他の場における言説を背景として」(Lemke 1992, p.257)自分の中の意味を構築したといえる -ジョンソン先生の ELL 学習者の談話コミュニティで示された談話は、言語パターンだけでな く、経験、関心、ビジョンを共有することを示し、談話コミュニティが本来持っている性質を 示している →ジョンソン先生は自分たちの伝統や慣習を新しいメンバーに伝えるという方法ではなく、む しろ、人々や社会のハビトゥスに挑戦させ、変容させている ケース 2:スミス先生 ELL についての欠陥観(Deficit view): 「ELL は英語を学んでいるだけでなく、その多くが学校 での社会的スキルを学ぶ必要がある」 〇ジョンソン先生が ELL の持っている言語的・文化的資源を常に強調したのとは対照的に、ス ミス先生は ELL が持つべきものについて言及している。 →ELL は英語力や社会性を持つべきである。 〇英語学習者の生徒を指導する際の困難 ―スミス先生が ELL を教えるのが難しいのは、ELL が英語を学ぶ過程にあることや、ELL に社 会的スキル(授業中は机に座るなど)が欠けていることが原因。 →ELL は英語力も社会性も欠如しているという認識に基づく、ELL についての欠陥観(Deficit view) →スミス先生は、2 つの言語を話し、家庭と学校で 2 つの異なる文化を行き来する ELL のバイリ ンガル・多文化的能力を、多言語・多文化的な教室環境で学ぶためのリソースとして評価するの ではなく、ELL を、英語を母国語とする生徒に比べて英語力が劣り、授業中に受け入れがたい社 会的スキルや態度を示す生徒としてしか見ていなかった。 …スミス先生(I)と ELL(They) “we”を使わない→言語的な距離感を示す。 …ELL の英語能力の欠如のために ELL に内容と言語を同時に教えることの難しさ。 〇スミス先生の教育に対する考え方は、多くの教師に見られるものである。 ―失敗した時に、多様な背景を持つ生徒を非難する傾向。 ―ELL が持つ文化的資源やバイリンガル/マルチリンガル能力を無視し、学校の構造的な問題を 見落としている。 7
↓ スミス先生の ELL に対する欠陥観の表れ(授業実践) 教室での英語の音の繰り返し:“みんなにブラッディと言わせてみよう!“ 〇スミス先生の最も支配的な教育実践 ―スミス先生の教育実践は、生徒たちに英語の音や単語を反復させることに重点を置いていた。 ―生徒たちに未来形や義務的な修飾動詞などの文法的な指示を与え、授業中に何をすべきか、何 をすべきでないかを指示した。 ―この授業実践では、ハロウィーンの日にちなんで 18 のハロウィン・ストーリーが書かれたプ リントを配布した。生徒たちは自分で物語を選ぶことができたが、実際にはスミス先生が選んだ 物語を読むように指示した。 ―授業では、スミス先生が物語の内容に関連する単語やフレーズについて話し、生徒たちに発音 を繰り返させた。また、スミス先生はクラス全体で単語の発音を合唱する習慣も取り入れた。ク ラス全員が単語を繰り返すことで、集団での発音の練習を行った。 →スミス先生は、 「英語を教えるとは、ELLにアメリカ人と全く同じ発音を教えることだ」と考 えている。 →教師と生徒の間の意味付けの欠如 …何を勉強し、何を話すのか、誰が読むのか、いつ読むのか、いつ読むのをやめるのか、クラス 全体がスミス先生によって規制されていた。 →ELLの生徒が自分の文化的アイデンティティや生活経験、内なる声を表現できる場面はほと んどない。 結論と含意 〇本章では、教師が言語的・文化的に多様な生徒に対して資源観を持つことの重要性が明らかに された。 ―ジョンソン先生は、英語学習者の生徒の言語的、文化的、経験的な資源を認識し、それを教育 に活用しようと努めた。彼の教室では、生徒たちはお互いに関与し、協力して学習する空間に参 加していた。 ⇔スミス先生は完璧な英語力(アメリカ人と同じ)に重点を置き、生徒の豊富な生活経験や文化 的資源を認識できず、教室に活かすことができていない。スミス先生の授業は一方的であり、ELL (英語学習者)に対する欠陥観に基づいていた。 〇真の教育改革は、教師が生徒の声を尊重し、彼らの意見を反映させることによって実現される。 教師は、生徒の生活経験や文化的実践を活用し、学校内外の実践を結びつけることで、生徒が持 つ知識を教育に統合する必要がある。言語的・文化的に多様な生徒の資源を統合しない限り、教 育改革は本当の変革をもたらすことはできない。 →「マジョリティ」にとっての教育改革にしかなり得ない 8
4 どのような論点争点があるのか? ・ ELL を,価値ある資質を持った存在とする見方と英語能力や社会的スキルが欠如した存在と する見方 ・ ジョンソン先生とスミス先生がそういった捉え方で ELL を見る背景・要因は? 5 日本においてそうした論点争点はどのように存在するか? ・争点 ☑理念と現実のギャップ 文部科学省が提示している教員向けの研修動画 日本語指導の方法(2) 〇留意点 児童生徒の経験や知識を活かす。 効力感を得られる場を想定して授業を設計する。… →理念上の資質観 「在籍学級で外国人児童が国語、社会のように日本語江欲を要求される授業に参加する場合、子 どもの大半は参加者ではなく、観察者あるいは観客といった第三者的な姿で座っていることが多 かった。学級担任は、日本人の子ども(日本語を理解する児童)向けの授業として、主として口 頭で伝達する方式で授業を進めており、日本語力がいまだ不十分な外国人児童生徒が理解できる ツールや方法はほとんど見受けられなかった。テストの場合にも日本人児童と同様に参加するこ とになっているが、外国人児童が理解できるテストの様式を別に提供したり、外国人児童の理解 を助ける資料を準備したりといったことは行われていなかった」 (藤井・孫 2014:108) →現実の実践では、上記した留意点を加味しているようには思えない。 →現実の欠陥観 ・資質観的な教育実践 →「トランス・ランゲージング」 →バイリンガルの読み書き能力(バイリテラシー)を伸ばす方法で内容理解を重視し,言語の四 技能(読む・書く・話す・聞く)を統合しながら,二言語間でのリテラシー能力を高めるもの (加納 2016:7) →多言語話者の言語レパートリーをひとかたまりのものとし、言語の境界線のない状態でと らえる(例:インプットは言語 A でして,アウトプットは言語 B でする) 【参考文献】 藤井美保・孫恩恵,2014, 「外国人児童の学校生活における日本語教室の機能―U 市 T 小学校の 事例から」 『熊本大学教育学部紀要』63 号:103-113. 加納なおみ,2016, 「トランス・ランゲージングを考える―多言語使用の実態に根ざした教授法 の確立のために」 『母語・継承語・バイリンガル教育 (MHB) 研究』 12 号:1-22. 9