特別講義「藤原氏の誕生と道⻑・紫式部の時代」

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September 19, 23

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各ページのテキスト
1.

特別講義「藤原⽒の誕⽣と道⻑・紫式部の時代」 榎本秋 1)藤原⽒の誕⽣ 中⾂⽒から藤原⽒へ ・中臣鎌子【なかとみのかまこ】 中大兄皇子【なかのおおえのおうじ】 名称変更 鎌足【かまたり】 亡くなる前に「藤原」という新しい名前を与えられる ・中臣氏 藤原氏より複製後、嫡流らが「大中臣氏」を名乗り、さらに藤波氏という伊勢神宮の祭主を務めた家も出 ている。 2)藤原 4 家とその興亡 ・四兄弟それぞれの家 藤原南家 - 藤原武智麻呂【むちまろ】 藤原北家 - 藤原房前【ふささき】 藤原式家 - 藤原宇合【うまかい】 藤原京家 - 藤原麻呂【まろ】 ・四家の名前の由来 権力構造変化 橘諸兄【たちばなのもろえ】→が藤原仲麻呂【ふじわらのなかまろ】 恵美押勝【えみのおしかつ】 →孝謙【こうけん】天皇(称徳【しょうとく】天皇)と僧侶・道鏡【どうきょう】 →『桓武天皇』式家・藤原百川【ももかわ】 藤原薬子【くすこ】 藤原仲成【なかなり】 →式家衰退 3)北家嫡流による摂関政治 ・北家・藤原良房【よしふさ】→藤原基経【もとつね】 ・宇多天皇 菅原道真【すがわらのみちざね】 ・醍醐天皇 藤原時平【ときひら】 道真失脚 →天満天神【てんまんてんじん】 →忠平【ただひら】 ・村上天皇による親政。。忠平の子供の藤原実頼【さねより】・藤原師輔【もろすけ】の兄弟が左右大臣になって、 菅原文時【ふみとき】(道真の孫)も政権に参加。 ・師輔の長男 藤原伊尹【これただ】。他氏排斥をすすめるがすぐに病で亡くなり弟の兼通【かねみち】と兼家【か ねいえ】が対立。藤原頼忠【よりただ】(実頼の子)が一旦継承。 ・兼家は自分の娘が産んだ子を一条天皇に仕立て上げ、かつ一条天皇にも自分の孫を嫁がせることで、外戚関 係を独占。 4)藤原道⻑期における嫡流交代 ・兼家の嫡男の藤原道隆【みちたか】に継承。一条天皇の関白に。数年後、流行病に倒れた道隆は自分の子で ある藤原伊周【これちか】を内覧という要職に。関白の座は道隆の弟の道兼【みちかね】に譲られたが、十一日後 に同じく病で死んだので、「七日関白」と噂された。 兼家の4男または5男であった道長【みちなが】が伊周との争いに勝ち権力を掌握。 5)嫡流以外の平安時代の藤原⽒(式部の実家含む) 6)式部の⽗はどんなひと? 補)平安京の話。都市計画など

2.

藤原氏略系図 京 家 式 家 北 家 魚 名 流 利 善 仁 勝 流 寺 流 秀 郷 流 日 野 流 【参考】 「図説 藤原氏」(戎光祥出版) 次ページへ 南 家

3.

① ② ③ 勧 修 寺 流 小 一 条 流 ④ 九 条 流 小 野 宮 流 ⑦ ⑧ 閑 院 流 ⑪ 御 堂 流 御 子 左 流 ⑥ ⑩ ⑤ ⑨ 中 関 白 家 世 尊 寺 流 中 御 門 流 忠実の子、忠通から分かれたのが五摂家