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June 18, 23
スライド概要
富山市 細入自治会連合会が運営する、神通峡地域の公式アカウントです。
飛騨街道100年プロジェクト第1回現地研修会 日程 1 9:00~9:15 飛騨街道100年プロジェクト概況説明 2 9:15~10:30 講演「関所日記にみる飛騨街道あれこれ」 講師 加藤 敏一 (猪谷関所館 元館長) 3 10:30~11:30 現地歩行会 ・Aコース:片掛周辺の短距離コース ・Bコース:小菅峠~片掛の中距離コース 江戸時代の片掛集落想像図
「飛騨街道100年プロジェクト」提案の経過 • 「細入みらい会議」(R4年8月~10月)で細入地区の望ましい未来像につ いて話し合う。 • 細入地区は小さな山村だが、神通川沿いに国道41号線とJR高山線が走り 人と物が往来する交通の要衝。 • 江戸時代以前から、飛騨、信州、東海地方との交流があり、銀山や水力発 電で栄え、小さな村だが活気のある地域であった。 • この地理的特性を生かし、交流人口を増やし、持続可能な居住地域として維持して いきたい。 • 細入地域の歴史的シンボルとして、100年以上前に役割を終えた 「歩く飛騨街道」を復活し、100年後の未来に伝えたい。
「飛騨街道」の変遷 (細入村史より) ・文明17年(1485年):飛騨から越中へ入った歌僧常光院尭恵(ぎょうえ) は、古川→細江→西街道(神通川左岸)を経由した記録がある。 ・明治19年(1886年)以前:庵谷から峠谷を遡り「小菅峠」を経由して片掛に 至る、細い歩道が使われた。荷車は使えず人や牛が担いで物資を運んだ。 ・明治19年(1886年):県道として「庵谷峠」を経由する道幅の広い馬車道が開 通する。馬車が使えるようになり物資の輸送量が飛躍的に増加した。 昭和28年(1953年)に名古屋・富山間の二級国道155号線に指定。 ・昭和32年(1957年):庵谷トンネルが開通し、峠を越えず短距離、短時間で 通過できるようになる。昭和33年(1958年)一級国道41号線に指定。
庵谷 ②庵谷峠経由の馬車道 片掛
北側(庵谷側)から見た飛騨街道 御為山 庵谷峠 南側(片掛側)から見た飛騨街道 小菅峠 御為山 庵谷峠 小菅峠
旧飛騨街道 赤色立体地図 赤色立体地図 傾斜面は赤色 平坦面は白色 庵 谷 歩行ルートの GPS軌跡 庵谷峠 小菅峠 JR 片 掛 R41
↑ 庵 谷 旧飛騨街道北側 旧飛騨街 道標識 整備済みルート 大谷林道 小菅峠 赤色立体地図 庵谷峠
大谷林道 旧飛騨街道南側 小菅峠 未整備ルート 林道支線 大淵寺 R41 旧飛騨街 道標識 JR 赤色立体地図
片掛側ルートの探索 2023.4.22
「比丘尼屋敷跡」と古い石垣
谷沿いの崩落地をロープで渡る
ルート後半は保存状態の良い道が続く
片掛集落付近まで昔のままの道が残っている
今後の飛騨街道復活プロジェクト 令和5年 • 片掛側のルートを、安全に通過できる歩道に整備する。 • 飛騨街道を学ぶ学習会を計画し、実行する。 • 秋の紅葉シーズンに庵谷・片掛間の「歩く飛騨街道歩行会」を行う。 令和6年以降 • 春、夏に崩壊箇所の点検整備と草刈り作業を行う。 • 春夏秋冬の歩行会を計画し、季節毎の飛騨街道を体験する。 • 岐阜県側の飛騨街道の保全団体や研究者と交流し、飛騨街道サミット を開催する。 *今後の活動予定は、細入自治会連合会のポータルサイト 「神通峡すまいる」に掲載しますのでご覧ください