西洋美術史ゼミ第八回:イタリア盛期ルネサンス美術と15世紀の北方美術

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March 30, 22

スライド概要

隔週程度で行っている、世界史と西洋美術史の勉強会のスライドです。私は理系の学生なので厳密な考証は行っていませんが、可能な限り正確に書くことを心掛けたつもりです。今回は盛期ルネサンスの美術と初期フランドル派について扱っています。以下のURLからスライドと補足資料をダウンロードできます。
https://github.com/amazuun/Art_of_Europe

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理系の大学生です。近代以降の美術史や思想史、現代美術について興味があります。厳密な考証は行っていませんが、可能な限り正確に書くことを心掛けています。後の物の方が出来が良いので、最新のものを最初に読むことをお勧めします。githubからはスライドと補足資料をダウンロードできます。参考文献は補足資料に記載しています。

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各ページのテキスト
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西洋美術史ゼミ 第8回 イタリア盛期ルネサンス美術・マニエリスム・北方ルネサンス美術 発表者 あまずん 1

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発表者について あまずん Twitter : @quii_w (メイン) @amazuunsc(サブ) 理系の大学生(数学専攻)をやっています。 近代以降の美術史や思想史、現代美術について 興味があります。 2

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ゼミについて • 週1回程度で美術出版社「増補新装 カラー版 西洋美術史」を一章ずつ 読み進め、内容をまとめ発表します。 • また、高校世界史に沿う形で当時の 出来事についても説明します。 • そのため、世界史と美術史を同時に 学ぶことができるため、歴史が好き な方も美術が好きな方も学びを深め ることができます。 3

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前回の内容 • 大航海時代が起こり近世が始まった。 スペインとポルトガルが海外進出す るなか、イタリアではルネサンスが 起こっていた。 • イタリアでは、古代ギリシア・ロー マの古典復興運動であるルネサンス が起こった。ジョットから始まり、 建築、彫刻、絵画で古典主義・自然 主義的な風潮が高まった。 ジョット《荘厳の聖母》

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本日の内容 美術について • イタリア盛期ルネサンス美術 • 北方ルネサンス美術 5

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全体の概略 • 今回の講義ではイタリア盛期ルネサンス美術について扱った後、 次回の導入として15世紀の北方美術について学びます。 • 西洋美術の完成と目されたルネサンス美術を、ダ・ヴィンチ、 ミケランジェロ、ラファエロといった代表的な芸術家に注目し て考えていきます。 • 15世紀の北方美術では、特にネーデルラント美術について学び ます。急速に発展した油彩技法が特徴となっています。 6

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本日の内容 • 美術史:イタリア盛期ルネサンス • 美術史:15世紀の北方美術 7

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美術史:イタリア盛期ルネサンス(1) スライドの構成は以下の通りです。 • 概略 • ルネサンスの伝播 • レオナルド・ダ・ヴィンチ • ミケランジェロ • ラファエロ • ティツィアーノとヴェネツィア派 • マニエリスム 8

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イタリア盛期ルネサンス美術(2):概略 • イタリア盛期ルネサンス(1490~ 1520)はわずか30年ほどの短い期間 ではあるが、古代ギリシア・ローマ に並ぶ西洋美術の完成期とみなされ るようになった。 • この時代、芸術家たちは自身の天賦 の才に自覚的になり、その個性的才 能によって自己の芸術世界を表現し ようとした。つまり、彼らは手仕事 を行う「職人」から、自己表現を行 う「芸術家」となったのである。 By Leonardo da Vinci - Cropped and relevelled from File:Mona Lisa, by Leonardo da Vinci, from C2RMF.jpg. Originally C2RMF: Galerie de tableaux en très haute définition: image page, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=15 442524

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イタリア盛期ルネサンス美術(3):ルネサンス の伝播(1) • イタリアのフィレンツェに起こった ルネサンスの新たな様式は、15世紀 後半になると次第にイタリア半島各 地に伝播していった。 • 各地の宮廷都市はその拠点となった が、北イタリアのマントヴァでは宮 廷画家マンテーニャが活躍した。 • マンテーニャはサン・ジョルジョ城 《「夫妻の間」装飾壁画》において、 遠近法を駆使した肖像画を描いた。 この写真 の作成者 不明な作成者 は CC BY-NC のライセン スを許諾されています マンテーニャ《「夫妻の間」装飾壁画》

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イタリア盛期ルネサンス美術(4):ルネサンス の伝播(2) • また、中部イタリアにおいてはピエ ロ・デッラ・フランチェスカが活躍 した。 • フィレンツェで修業したピエロは遠 近法技法に優れ、代表作はサン・フ ランチェスコ聖堂壁画『シバの女王 とソロモン王の会見』『キリストの 洗礼』である。 この写真 の作成者 不明な作成者 は CC BY-NC-ND のライセンスを許諾 されています ピエロ《シバの女王とソロモン王の会見》

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イタリア盛期ルネサンス美術(5):ルネサンス の伝播(3) • 16世紀に美術の中心地となるローマ とヴェネツィアについても触れる。 • 15世紀初頭におけるローマは荒廃し ていたが、その復興の象徴ともいえ る造営物としてシスティーナ大聖堂 があり、フィレンツェから招聘され たボッティチェリやドメニコ・ギル ランダイオが当時としては最高規模 のフレスコ画を描いた。 この写真 の作成者 不明な作成者 は CC BYSA-NC のライセンスを許諾されています ギルランダイオ《ジョヴァンナ・トルナブオーニの肖像》

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イタリア盛期ルネサンス美術(6):ルネサンス の伝播(4) • 一方、海上交易で栄えたヴェネツィ アで描かれた絵画はビザンティン美 術の影響を強く受けたものであった が、15世紀の半ば以降ベッリーニ一 族(父ヤーコポ、⾧男ジェンティー レ、次男ジョヴァンニ)が以後の ヴェネツィア派の基礎を定めた。 • 特にジョヴァンニがイタリアにもた らされたばかりの油彩技法を駆使し、 大気と陽光に満ちた風景を描いた。 この写真 の作成者 不明な作成者 は CC BY-SA のライセンスを許諾され ています ジョヴァンニ・ベッリーニ《聖ザカリア祭壇画》

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イタリア盛期ルネサンス美術(7):レオナルド・ ダ・ヴィンチ(1) • レオナルド・ダ・ヴィンチは初期ル ネサンスの自然主義的動向を集約し、 盛期ルネサンスへの橋渡しをした人 物であり、ヴァザーリによって盛期 ルネサンスの創始者とされている。 • 科学者の目による徹底的な自然観察、 それを写し取る高度な素描力に加え、 精妙な明暗の推移によるぼかし技法 (スフマート)や空気遠近法を用い て優美な理想的世界を描きだした。 この写真 の作成者 不明な作成者 は CC BY のライセンスを許諾されて います レオナルド《自画像》

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イタリア盛期ルネサンス美術(8):レオナルド・ ダ・ヴィンチ(2) • レオナルドはまずフィレンツェで修 業した後、⾧らくミラノ公に仕えた。 • レオナルドは典型的なルネサンス万 能人として、絵画だけでなく彫刻、 建築を含め幅広い分野で才能を発揮 した。 • レオナルドの代表作は『岩窟の聖 母』『最後の晩餐』『モナ・リザ』 である。 この写真 の作成者 不明な作成者 は CC BYNC-ND のライセンスを許諾されています レオナルド《岩窟の聖墓》

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イタリア盛期ルネサンス美術(9):ミケランジェ ロ(1) • ミケランジェロはヴァザーリの『芸術家 列伝』において頂点に位置づけられ、ル ネサンスで最も大きな影響力を持った芸 術家であった。 • 自然全体に関心があったレオナルドとは 対照的に、彼はひたすらに人体表現を課 題として自らの芸術を展開させた。 • 従来に類を見ない多様なポーズを捉えた ミケランジェロの人体表現は、後世に絶 大な影響力を持つことになる。 ダニエレ・ダ・ヴォルテッラ《ミケランジェロの肖 像》

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イタリア盛期ルネサンス美術(10):ミケラン ジェロ(2) • ミケランジェロはフィレンツェの画 家ギルランダイオに師事したが、む しろメディチ家蒐集の古代彫刻に学 び自己の様式を形成した。 • 1501年に『ダヴィデ像』を制作した 後、1505年に教皇ユリウス2世により ローマに招聘され、同教皇の墓碑制 作、1508年にはシスティーナ礼拝堂 の天井画を手掛けた。 David Gaya - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=12521 6による ミケンラジェロ《ダヴィデ像j》

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イタリア盛期ルネサンス美術(11):ミケラン ジェロ(3) ミケランジェロ 《システィーナ大聖堂天井画》 [1], CC 表示 2.5, https://commons.wikimedia.org/ w/index.php?curid=13609による 18

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イタリア盛期ルネサンス美術(12):ミケラン ジェロ(4) • 盛期ルネサンスはレオナルド、ラ ファエロの亡くなる1520年ごろまで に終焉を迎えるが、ミケランジェロ はそれよりさらに40年以上の⾧命を 得て、盛期ルネサンスの調和と均衡 から乖離した様式にたどり着く。 • 1533年にシスティーナ大聖堂に『最 後の審判』を依頼されたが、当時再 びイコノクラスムの風潮が興ってお り、異教的な裸体で構成されたこの 壁画は教会から非難されることとと なった。 ミケランジェロ《最後の審判》

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イタリア盛期ルネサンス美術(13):ラファエロ (1) • 自然で優美な人物表現、豊かな色彩 といった盛期ルネサンスの古典主義 的様式を集大成したのはラファエロ その人であった。 • ラファエロははじめペルージャ(イ タリア中部)にある工房に加わった のち、フィレンツェで活躍した。 フィレンツェではとりわけ『美しき 女庭師』で初期の名声を得た。 この写真 の作成者 不明な作成者 は CC BY のラ イセンスを許諾されています ラファエロ《自画像》

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イタリア盛期ルネサンス美術(14):ラファエロ (2) • 1508年、ローマに招聘され、ヴァチ カン宮殿の「署名の間」の装飾を担 当し、『アテナイの学堂』を描いた。 • この壁画は古代ギリシアの学者が描 かれているが、この部屋には『聖体 の論議』というキリスト教主題の絵 画などもあり、異教とキリスト教を 融合したルネサンスを象徴するよう な空間であった。 ラファエロ《アテナイの学堂》

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イタリア盛期ルネサンス美術(15):ラファエロ (3) • ヴァチカン宮殿での仕事が高く評価 され、ラファエロは旺盛に活動する こととなる。 • 彼は銀行屋アゴスティーニ・キージ に『ガラテアの凱旋』を描いたが、 動性と安定感が調和したこの神話画 はラファエロによる古典絵画の一つ の頂点であった。 ラファエロ《ガラテアの凱旋(勝利)》

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イタリア盛期ルネサンス美術(16):ラファエロ (4) • また、最後の大作である『キリスト の変容』では、ミケランジェロの影 響が感じられるとともに明暗の強い そのドラマティックな構図は以後の バロック美術を予見させるもので あった。 • ラファエロは早世したが、その様式 は工房の弟子たちに受け継がれ、ま た古典主義の到達点としてイタリア のみならず西洋美術の規範として見 なされるようになった。 ラファエロ・サンティ - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=43522641 による ラファエロ《キリストの変容》

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イタリア盛期ルネサンス美術(17):ティッ ツァーノとヴェネツィア派(1) • ローマと並び16世紀に美術活動の中心地 となったのは水都ヴェネツィアである。 • ベッリーニの晩年の弟子であったジョル ジョーネとティツィアーノにより、ヴェ ネツィア派は最盛期を迎えた。 • ヴェネツィア絵画は華やかな色彩主義と 油絵の自由な筆致を特徴とし、フィレン ツェ的な素描に基づく彫塑的表現と厳密 な構図に相対するものであった。 ティツィアーノ《聖母被昇天》

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イタリア盛期ルネサンス美術(18):ティツィ アーノとヴェネツィア派(2) • ヴェネツィア絵画では、ジョル ジョーネの『テンペスタ』に見られ るように詩的情緒のある風景要素も 大きな役割を果たした。 • このように聖書や神話から自由な距 離を置く詩的な絵画はポエジーア (詩的情緒画)と呼ばれ、ヴェネ ツィア絵画の特徴となった。 ジョルジョーネ《テンペスタ》

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イタリア盛期ルネサンス美術(19):ティツィ アーノとヴェネツィア派(3) • ジョルジョーネは早世するが、ティ ツィアーノはジョルジョーネの『眠 れるヴィーナス』を参考とし、『ウ ルビーノのヴィーナス』をはじめと する多くの裸体女性像を描いた。こ のような官能性と世俗性もヴェネ ツィア派の特徴であった。 • このような色彩美にあふれた奔放な 絵画は後年のルーベンスやベラスケ スに影響を与えることとなる。 ティツィアーノ《ウルビーノのヴィーナス》

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イタリア盛期ルネサンス美術(20):ティツィ アーノとヴェネツィア派(4) ジョルジョーネ《眠れるヴィーナス》 ティツィアーノ《ウルビーノのヴィーナス》 27

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イタリア盛期ルネサンス美術(21):マニエリス ム(1) • 1520年前後にレオナルドとラファエ ロが相次いで亡くなると、新たな美 術潮流が現れた。 • それまでのルネサンス美術の主眼が 自然模倣にあったのに対し、ミケラ ンジェロやラファエロの手法(マニ エラ)を模倣するマニエリスムが生 まれた。 ポントルモ《十字架降下》

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イタリア盛期ルネサンス美術(22):マニエリス ム(2) • マニエリスム絵画の特徴として、異常に ⾧く引き伸ばされた人体のプロポーショ ンや、合理的な遠近法的空間への無関心、 非現実的な色彩など反古典主義的な要素 を特徴とする。 • フィレンツェとローマの美術家として、 ポントルモやパルノジャニーノなどが居 た。 • アルプス以北に伝播したマニエリスムで は、ブロンズィーノの難解な寓意画(ア レゴリー画)や肖像画が代表的である。 ブロンズィーノ《愛のアレゴリー》

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本日の内容 • 美術史:イタリア盛期ルネサンス • 美術史:15世紀の北方美術 30

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美術史:15世紀の北方美術 • 北方とはアルプス以北、つまりネーデル ラント(現在のベルギー・オランダ)や ドイツ、フランスを指す。 • イタリア=ルネサンスの成果がこれらの 国に持ち帰られるのは少し後の時代だが、 時を同じくして美術の新たな潮流が生み 出されたことは間違いない。 • この時代の特徴は急速に発展した油彩技 法であり、初期フランドル派(初期ネー デルラント派)とも呼ばれる。 ファン・エイク兄弟《ヘント祭壇画》

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美術史:15世紀前半のネーデルラント美術 (1) • 油彩技法が急速に発展したこの時代、唐 突に、そしてほとんど完成した形で出現 した油彩による肖像画は後代の画家に大 きな影響を与え続けることとなる。 • この時代に有名な画家にヤン・ファン・ エイク、ロベルト・カンピン、ロヒー ル・ファン・デル・ウェイデンがいる。 • ヤン・ファン・エイクの写実的表現や、 カンピンとロヒールの感情表現は国を越 えて欧州全土に波及する。 ヤン・ファン・エイク《アルノルフィーニ夫妻の肖 像》

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美術史:15世紀前半のネーデルラント美術 (2) • ヤン・ファン・エイクは兄フーベル トとともに『ヘント祭壇画』を描い た。 • フーベルトは緻密であったが平面的 であり、ヤンは現実的な奥行きを表 現している。 • また、ヤンは『アルノルフィーニ夫 妻の肖像』や『ファン・デル・パー レの聖母子』で有名であり、写実性 が評価されている。 ヤン・ファン・エイク《ファン・デル・パーレの聖母子》

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美術史:15世紀前半のネーデルラント美術 (3) • カンピンはヤン同様、油彩による写 実性の高い宗教画と肖像画を制作し ていた。 • その代表作は『メロード三連画』で あり、線遠近法を知らないために不 自然な奥行きとなっているものの、 感情を豊かに表出している。 カンピン《メロード祭壇画(メロード三連画中央)》

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美術史:15世紀前半のネーデルラント美術 (4) • カンピンの弟子であるロヒールはカ ンピンの画風をさらに洗練させ、信 仰深い人の涙を誘い、あるいは喜ば せるような観者の情動に訴えかける 作品を制作した。 • ロヒールの代表作は『十字架降下』 である。 ロヒール《十字架降下》

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美術史:15世紀後半のネーデルラント美術 (1) • 15世紀後半のネーデルラントの画家は多かれ少なかれヤン・ ファン・エイクかロヒールの影響下にあった。 • この時代の中心的画家にはハンス・メムリンクやダーフィット が挙げられる。 • メムリンクはヤンの伝統を引き継ぐ宗教画を制作し、ダー フィットは風景表現を得意として後の風景画を先取りしたよう な絵画を描いた。

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美術史:15世紀後半のネーデルラント美術 (2) メムリンク《聖ヤコブと聖ドミニコの間にいる 聖母マリアとその子》 ダーフィット《受胎告知》 37

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本日のまとめ • 1490~1520の盛期ルネサンス美術で はレオナルド・ダ・ヴィンチやミケ ランジェロ、ラファエロ、ヴェネ ツィア派が活躍し、その死後に新た な美術潮流であるマニエリスムが 興った。 • 北方では油彩技法が急速に発展し、 ヤン・ファン・エイクやカンピン、 ロヒールなどの画家が活躍した。 ミケランジェロ《最後の審判》

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次回の内容 • 次回は北方ルネサンス美術について 学びます。イタリアルネサンスの影 響を受けたアルプス以北では、風俗 画の先駆けとなる農村風俗主題の作 品を描いたブリューゲルや、活躍前 後で時代が区分されるほどに象徴的 なドイツの画家デューラーなどにつ いて学びます。 • 関連ワード 1. ブリューゲル《農民のダンス》 2. デューラー《メランコリアI》 デューラー《メランコリアI》