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October 26, 19
スライド概要
第12回 関西すうがく徒のつどい
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行列の指数関数の話をしました #kansaimath - usami-k 数学日記
https://usami-k.hatenadiary.jp/entry/2019/10/27/214152
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行列の指数関数 宇佐見 公輔 第 12 回 関西すうがく徒のつどい 2019 年 10 月 26 日 1 はじめに 行列の指数関数 eX を初めて見たときは、「行列『乗』ってなんだ?」と 思ったものです。数の「n 乗」はその数を n 個だけ乗算することだ、とい う感覚だと、数の「行列『乗』」というのは何ともとらえづらいものに思え ます。 しかし考えてみると、整数乗や有理数乗あたりまでならまだしも、実数の 指数関数 ex あたりになってくると、「実数『乗』 」という感覚でとらえるの は何となくあやしげになってきます。さらに、複素数の指数関数 ex+yi にな ると、 「複素数『乗』 」という感覚はもはや当てはまらないと思えてきます。 指数関数を複素数に拡張するときの方法として、指数関数を冪級数で定義 するというのがひとつのやり方です。実のところ、この発想を応用して、指 数関数を行列にも拡張することができます。 2 指数関数 まず、指数関数について確認しておきましょう。 1
実数の指数関数の定義のしかたはいろいろあります。ひとつには、数の自 然数乗の定義から始める以下の方法があります。 Definition 2.1 (実数の指数関数) 実数 a > 0 を固定します。 • 正の整数 n に対して、an := a · a · · · a(右辺は n 個の積)と定義 します。 • a0 := 1 と定義します。 • 正の整数 n に対して、a−n := • 有理数 x = m n (m 1 an と定義します。 は整数、n は正の整数)に対して、ax := √ n am と定義します。 • 実数 x ∈ R に対して、x に収束する有理数列 {xk } を選び、ax := lim axk と定義します。 k→∞ このとき、R から R への関数 x 7→ ax を a を底とする指数関数と定義 します。 実数の場合の定義は有理数列の取り方によらず well-defined であること が分かります。これで実数の指数関数が定義できます。 特に、ネイピア数 e を底とする指数関数を exp と書くことにします。つ まり、exp x := ex です。これ以降は、指数関数と言えばこの exp のことを 指します。 指数関数の性質を確認しておきましょう。指数関数は、次の指数法則を満 たします(上記の定義は、指数法則を満たすように拡張していました) 。 Proposition 2.2 (指数法則) exp(x + y) = (exp x)(exp y) また、微分しても変わらないという性質を持ちます。 2
Proposition 2.3 (指数関数の微分) d exp x = exp x dx さらに、次のように冪級数展開することが可能です。 Proposition 2.4 (指数関数の冪級数展開) exp x = ∞ X 1 k 1 1 1 x = 1 + x + x2 + x3 + · · · + xk + · · · k! 2! 3! k! k=0 特に、右辺の無限級数は x がどのような実数であっても収束します(さら に、単に収束するだけでなく絶対収束します) 。 さて、実数の指数関数の定義は Definition 2.1 で良かったのですが、この 方法で複素数に拡張するのは難しいです。そこで、冪級数展開を定義として 採用します。 Definition 2.5 (複素数の指数関数) 指数関数 exp : C → C を次で定義します。 exp z := ∞ X 1 k 1 1 1 z = 1 + z + z2 + z3 + · · · + zk + · · · k! 2! 3! k! k=0 これが定義として成り立っているためには、右辺の無限級数が収束してい る必要があります。実際のところ、z がどのような複素数であっても収束し ます(さらに、絶対収束します) 。 複素数の指数関数も、指数法則(Proposition 2.2)や指数関数の微分 (Proposition 2.3)の性質を持ちます。 3
3 行列の指数関数 本題である行列の指数関数に入りましょう。 定義のしかたは、実数の指数関数を複素数の指数関数に拡張したときのよ うに、冪級数を使った方法を使います。ところで、数の無限級数は分かると して、行列の無限級数とは何でしょうか。そのあたりの言葉を整理しておき ましょう。 まずは、m × n 行列 X = (xij ) で考えます(xij は行列 X の (i, j) 成分) 。 なお、行列の成分体 F は実数体 R または 複素数体 C としておきます。 数に対して数列を考えるときのように、行列に対して行列の列を考えま す。つまり、X1 , X2 , . . . , Xk , . . . という行列の集まりです。ここで、行列の 列を考える場合は、各行列 Xk は同じサイズである(m × n 行列である)と しておきます。 Definition 3.1 (行列の極限) (k) m × n 行列の列 {Xk = (xij )} が m × n 行列 Y = (yij ) に収束する (k) とは、各 (i, j) 成分ごとの数列 {xij } が yij に収束することです。 つまり、mn 個の数列がそれぞれ収束する、ということです。 Definition 3.2 (行列の級数) (k) m × n 行列の列 {Xk = (xij )} に対して、部分和 Sk := k X l=0 ます。行列の列 {Sk } が行列 Y に収束するとき、行列の級数 Xl を考え ∞ X Xk は k=0 行列 Y に収束するといいます。 実のところ、行列の列や級数は、数の数列や級数と同様の概念で、特に何 か違いがあるわけではありません。 4
さてここからは、n × n の正方行列で考えていきます。 正方行列 X に対しては、X 2 , X 3 , . . . を、X k := X · X · · · X (右辺は k 個の積)と定義できます。また、X 0 := I (I は単位行列)と定義します。 X k が定義できるのですから、行列の列 I, X, 1 2 1 3 1 X , X , . . . , Xk, . . . 2! 3! k! を考えることができ、行列の級数 ∞ X 1 k 1 1 1 X = I + X + X2 + X3 + · · · + Xk + · · · k! 2! 3! k! k=0 を考えることができます。 この無限級数は収束するでしょうか。実数や複素数で収束するのだし、収 束は成分ごとの数列で考えるのだから、これも収束しそうに思えます。ただ 注意がいるのは、行列の積の値は他の成分の影響を受ける、という点です。 例えば、X 2 の (i, j) 成分は Pn k=1 xik xkj であり、X の (i, j) 成分 xij だ けでは表されません。とはいえ、実際にはちゃんと収束してくれます。 Proposition 3.3 任意の n × n 行列 X に対して、級数 ∞ X 1 k 1 1 1 X = I + X + X2 + X3 + · · · + Xk + · · · k! 2! 3! k! k=0 は収束します(さらに、ノルム収束します)。 なお、ノルム収束については今回の話では詳しくは触れませんが、絶対収 束の行列版にあたります。 証明はそれほど難しくはありませんが、各種の教科書にゆずります。例え ば、[1] には、帰納法による証明が示されています(ただしノルム収束には 触れられていません)。また、[3] や [4] には、ノルム収束の証明が示されて います。 5
この命題によって、行列の指数関数が定義できます。F 成分の n × n 正方 行列の全体を M(n, F) と書くことにします(F は R または C) 。 Definition 3.4 (行列の指数関数) 指数関数 exp : M(n, F) → M(n, F) を次で定義します。 exp X := ∞ X 1 k 1 1 1 X = I + X + X2 + X3 + · · · + Xk + · · · k! 2! 3! k! k=0 特に、exp X は行列であることに注意しておきます。最初に「行列『乗』っ てなんだ?」と書きましたが、 「行列『乗』 」は行列になるというわけです。 4 指数法則 指数関数を Definition 2.1 のように定義する場合は、定義を組み立てる時 点で、指数法則を満たすように配慮しながら拡張していきました。一方、指 数関数を Definition 2.5 や Definition 3.4 のように冪級数で定義した場合、 指数法則が成り立つかどうかは改めて確認する必要があります。 ここで、指数関数の冪級数は(絶対収束あるいはノルム収束することか ら)級数の項の順番の入れかえが可能です。このことを使うと、冪級数によ る定義から指数法則を導くことができます。 まずは、実数または複素数の指数関数で見てみましょう。 6
exp(x + y) = = = = = ∞ X 1 k (x + y) k! k=0 ∞ X k=0 ∞ X (定義どおり) 1 X k! p q x y k! p!q! (二項定理) p+q=k X k=0 p+q=k ∞ X ∞ X p=0 q=0 ∞ X 1 p q x y p!q! 1 p q x y p!q! ∞ 1 pX 1 q x y p! q=0 q! p=0 (約分) (和の取り方を変更) (p と q で分ける) = (exp x)(exp y) これで、指数関数の冪級数から、指数法則(Proposition 2.2)が導けま した。 これと同じことが、行列の場合でもできるでしょうか? 事情が大きく異 なるのが、行列の場合は積が可換ではないという点です。上記の証明(式変 形)の中で、可換でない場合に問題が起こるのは二項定理です。行列の積が 可換であれば二項定理は成り立つので、上記の証明のやり方で指数法則が導 けます。 Proposition 4.1 (行列の指数法則) 行列 X, Y について XY = Y X が成り立つとき、 exp(X + Y ) = (exp X)(exp Y ) 積が可換でない場合は、指数法則が成り立つとは限りません。一般には、 次のような公式が知られています。 7
Proposition 4.2 (Baker-Campbell-Hausdorff の公式) exp Z = (exp X)(exp Y ) ここで Z は以下で与えられます(なお、[X, Y ] := XY − Y X ) 。 1 1 Z = X + Y + [X, Y ] + ([X, [X, Y ]] − [Y, [X, Y ]]) + · · · 2 12 (これ以降の項もすべて [X, Y ] の組み合わせであらわされる) 積が可換な場合は [X, Y ] = 0 になるので、指数法則に一致します。 5 指数関数と微分方程式 次に、微分について考えてみましょう。とは言っても「行列で微分する」 というような概念を考えるわけではありません。実数変数を入れて、その変 数で微分することを考えます。 実数変数 t を持つ関数 f1 (t), f2 (t), . . . , fn (t) に関する微分方程式 d f1 (t) = a11 f1 (t) + a12 f2 (t) + · · · + a1n fn (t) dt d f2 (t) = a21 f1 (t) + a22 f2 (t) + · · · + a2n fn (t) dt ··· d fn (t) = an1 f1 (t) + an2 f2 (t) + · · · + ann fn (t) dt を 考 え ま す。 こ れ は、 行 列 A = (aij ) と ベ ク ト ル 値 関 数 f (t) = (f1 (t), f2 (t), . . . , fn (t)) を使えば、次のように書けます。 d f (t) = Af (t) dt 8
いま、n = 1 の場合を考えると、これは微分方程式 d f (t) = af (t) dt であり、その解は f (t) = exp(ta)c です(ここで c := f (0)) 。 このことから、n > 2 の場合でも f (t) = exp(tA)c(ここで c := f (0)) が解であると予想できます。 d これを確認するため、 dt exp(tA) を求めます。 (k) いま、Ak の (i, j) 成分を aij とし、exp(tA) の (i, j) 成分を bij (t) とす ると、 ∞ X 1 (k) k a t k! ij bij (t) = k=0 です。これは t についての冪級数ですが、収束する冪級数は項別微分できる ので、 ∞ X d 1 (k) d bij (t) = a tk dt dt k! ij = k=0 ∞ X k=1 1 (k) a tk−1 (k − 1)! ij (k) です。ここで、Ak = AAk−1 から aij = ∞ Pn l=1 (k−1) ail alj なので、 n X X d 1 (k−1) k−1 bij (t) = ail alj t dt (k − 1)! = k=1 n X l=1 = n X l=1 ail ∞ X k=1 1 (k−1) k−1 a t (k − 1)! lj ail blj (t) l=1 となります。したがって、次の結果が導けました。 9
Proposition 5.1 d exp(tA) = A exp(tA) dt このことから、このセクション最初の微分方程式の解が分かります。 Proposition 5.2 連立線型微分方程式 d f (t) = Af (t) dt の、初期条件 c = f (0) を満たす解は f (t) = exp(tA)c で与えられる(しかもこれのみである)。 解がこれのみであることの証明は難しくありませんが、ここでは省略し ます。 こうして、微分方程式の解としての観点から見て、実数や複素数の指数関 数と行列の指数関数は同様の性質を持つことが言えました。 6 指数関数が与える対応関係 行列の指数関数は、ある行列の集合からある行列の集合への対応を与えま すが、その対応の例を見てみます。 まず、指数関数の性質をひとつ挙げておきます。 Proposition 6.1 任意の行列 X ∈ M(n, F) に対して、 det(exp X) = exp(trX) が成り立ちます。 10
これの証明はここではしません。なお、上記の式は両辺とも数であること を注意しておきます。 Proposition 6.2 (正則性) 任意の行列 X ∈ M(n, F) に対して、exp X は正則行列になります。 Proof. 上記の Proposition 6.1 から、特に det(exp X) は 0 にはなりません (右辺は実数または複素数の指数関数の値であるため)。したがって、exp X は正則行列になります。 このことから、exp は M(n, F) から正則行列の全体 GL(n, F) への対応 を与えています。実は M(n, F) はブラケット積演算を入れることでリー代 数 gl(n, F) となり、GL(n, F) はリー群です。つまり、exp がリー代数から リー群への対応を与える例となっています。 といっても、これだけでは何だかよくわからない話ですので、次に、別の 対応関係を見てみます。 まず、次のような行列の群を考えます。 Definition 6.3 (回転群) X ∈ M(n, R) が X |X = I (ここで、X | は X の転置行列)を満たすとき、X を直交行列と呼びます。 直交行列で行列式が 1 になるもの全体 SO(n) := {X ∈ M(n, R) | X | X = I, det X = 1} は行列の積に関して群になります。これを回転群と呼びます。 回転群もリー群の一種です(ここでは詳しい説明はしません)。 Definition 6.4 (交代行列) 11
X ∈ M(n, R) が X| + X = O を満たすとき、X を交代行列と呼びます。 Proposition 6.5 (交代行列と直交行列) X ∈ M(n, R) を交代行列とします。 このとき、exp X は直交行列になります。また、det(exp X) = 1 とな ります。 Proof. (exp X) = exp(X | ) に注意すると、 | | (exp X) (exp X) = (exp(X | ))(exp X) = exp(X | + X) = exp O =I したがって、exp X は直交行列です。 交代行列は、その定義から対角成分はすべて 0 でなくてはなりません。し たがって、trX = 0 です。Proposition 6.1 を使うと、 det(exp X) = exp(trX) = exp 0 = 1 となり、det(exp X) = 1 です。 行列の指数関数の性質がうまく効いていることが見てとれます。 上記の命題から、exp は交代行列の全体から回転群 SO(n) への対応を与 えています。交代行列の全体はブラケット積を入れることでリー代数 so(n) になります。つまりこれも、exp がリー代数からリー群への対応を与える例 となっています。 リー群は幾何的な側面と代数的な側面を持ちますが、リー代数は代数的な 側面が強く、リー群を直接調べるよりも議論が簡単になることがあります。 12
それを可能にしているのが、行列の指数関数(および対数関数)だというわ けです。 7 おわりに 行列の指数関数に興味が出てきた人のために、本をいくつか紹介しておき ます。 行列の指数関数については、線型代数の本のうちのいくつかでも見かける ことができます。[1] や [2] あたりがまとまっているかと思います。 また、線型代数学の本の続編のような位置付けの [3] では、この行列の指 数関数がメインテーマとなっています。大学初年度で微分積分と線型代数を 勉強したあとで、その復習を兼ねつつ発展的な話題にも触れることができて ちょうど良いと思います。今回は扱いませんでしたが、行列の対数関数につ いても書かれています。 行列の指数関数とリー群やリー代数(リー環)は大きな関連があります。 リー群やリー代数は、線型代数の次に学ぶ内容としておすすめの題材です。 [4] や [5] は、線型代数の内容をはさみながら書かれているため、読みやすい と思います。 参考文献 [1] 佐武一郎, 線型代数学, 裳華房, 2015.(新装版) [2] 松坂和夫, 線形代数入門, 岩波書店, 2018.(新装版) [3] 齋藤正彦, 数学講義 行列の解析学, 東京図書, 2017. [4] 井ノ口順一, はじめて学ぶリー群, 現代数学社, 2017. [5] 井ノ口順一, はじめて学ぶリー環, 現代数学社, 2018. 13