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August 05, 24
スライド概要
科学研究費補助金(15K13257)による第1回「古写本『源氏物語』の触読研究会」での発表資料です。
This is the presentation material at the 1st "Study Group on Tactile Reading of Ancient Manuscripts 'The Tale of Genji'" supported by Grants-in-Aid for Scientific Research (15K13257).
明治 33 年式棒引きかなづかいの今 国文学研究資料館 1 淺川槙子(あさかわ・まきこ) はじめに 現在、日本語を書き表すには 2 つの文字表記方法がある。点字と墨字である。点字はルイ・ブライユ により発明され、石川倉次らの手により発展をとげて今にいたる。漢字を使わず、 「かな」を「わかち 書き」にし、発音に対応させて書き表す「表音式」のかなづかいがもちいられるという特徴をもつ。 今回とりあげる「明治 33 年式棒引きかなづかい」は、教育の現場で正式にもちいられたのはわずか 8 年間であり、諸手をあげてうけいれられた方法とはいえない。しかし「表音」という点から考えると、 「現代かなづかい」や「歴史的かなづかい」よりも点字のかなづかいに近いといえる。点字と墨字とい う 2 つの文化を考えるうえでも「明治 33 年式棒引きかなづかい」について確認してみたい。 2 明治 33 年式棒引きかなづかいとは (定義) 『日本国語大辞典』によると「棒引きかなづかい」とは、字音語や感動詞の長音を棒引きの符号「ー」 で表わす仮名づかいのことであり、たとえば「学校」を「がっこー」、 「いいえ」を「いーえ」などとす るものである。しかし中野氏(84 ページ)によれば、「棒引きかなづかい」という一定のかなづかいは なく、長音表記に長音符がついていても、資料により用字法がことなることがあるとされる。中野氏の 指摘をふまえて、 「明治 33 年式棒引きかなづかい」とは、明治 34(1901)年から明治 42(1909)年ま で尋常小学校の教科書につかわれたかなづかいをさすことにする。 (導入から廃止へのながれ) 明治 33(1900)年 8 月の「小学校令施行規則」の発布により導入された。多方面から意見が集まっ たので、政府は明治 35(1902)年に国語調査委員会を設置し、文部省が「棒引きかなづかいの補正」 などについての諮問をおこなった。同年に教科書事件疑獄がおこったことで、明治 36(1903)年、小 学校令が改正されて国定教科書制度がはじまった。制度がはじまっても、字音語の表記は「棒引きかな づかい」がもちいられた。明治 37(1904)年から、社会的情勢の変化に対応するために、教科書を修 正する必要があるとの意見が出てきた。翌年に国語調査委員会は、「表音式仮名づかい」を適用するとい う改定案を出した。しかし、 「かなづかい」についての意見はまとまらず、明治 41(1908)年 9 月、文 部省訓令により「小学校令施行規則」から「棒引きかなづかい」は消えた。消えた理由について、柿木 氏(77 ページ)が「国語学者である藤岡勝二が思想の転換をした」ことも一因であると指摘しており、背 景には言語政策など複数の要因があると言える。結局、翌年度の『尋常小学読本』は歴史的仮名づかい に統一された。 (特徴) 明治 33(1900)年 8 月、小学校令が改正されて「小学校令施行規則」が発布された。具体的には「小 学校令施行規則」の第 2 号表で、 「従来用ヒ来レル字音仮名遣」と「新定ノ字音仮名遣」として対照が なされた。永山氏(103 ページ)によれば、「棒引きかなづかい」には 5 つの特徴があるとされる。 (1)尋常小学校の教育のみにもちいられた。 (2)国語のかなづかいは歴史的仮名づかいのままである。 1
(3)字音語の長音を表記するときに長音符がもちいられる。 (4)拗音を書くときは、 「や」 「ゆ」 「よ」を右下に細かく書く。 (5)「か」と「くわ」 、 「が」と「ぐわ」 、 「じ」と「ぢ」、 「ず」と「づ」との区別をなくし、 「か」 「が」 「じ」 「ず」に統一することにした。ただし「従来慣用ノ例ニ依ルモ妨ナシ」という注意書きがついて いる。 (問題点) 上記の特徴から「明治 33 年式棒引きかなづかい」は、漢字の音読みと対応する字音語と和語の区別 をつけて書き分ける力がないと使いこなせないことがわかる。 (第1期『尋常小学読本』での使用例) 国定教科書制度がはじまったのは明治 37(1904)年からである。しかし、明治 33(1900)年に坪内 雄蔵(逍遙)が編纂した、 『国語読本尋常小学校用』に「棒引きかなづかい」を確認することができる。 しぎと はまぐり。ふねに ニンギョー ハ せんどー。(巻 1・60 ページ) オトナシイ。 (巻 2・87 ページ) 「せんどー」はひらがな、「ニンギョー」はカタカナで表記されている。 それでは、第 1 期『尋常小学読本』 (イエスシ読本)において、 「棒引きかなづかい」が用いられた例 をあげてみる。中野氏(89~93 ページ)と『尋常小学読本 教育資料版』を参考に、和語を長音表記 する場合を限定した。なお、ウ列とエ列は歴史的仮名づかいに準じているので省略する。 (1)ア列 「マー」 マー。ミゴトナ ブドー デハ (2)イ列 「イー」 イーエ。 コレ ハ (3)オ列 ワタクシ ノ ス デス。 (3 巻・12 ページ) 副詞「とーとー」と感動詞「おー」 からす は、 おー アリマセンカ。 (3 巻・51 ページ) とーとー、はまぐり を すてて、とんでいってしまひました。 (6 巻・50 ページ) りっぱな 富士山(ふじさん)が できた。(4 巻・10 ページ) 次に字音語の場合をあげてみる。ア列とイ列の長音表記は用例がない。また、エ列は「棒引かなづか い」ではないので省略する。 (1)ウ列 「じゅー」 ながい はりが じゅーに と (2)オ列 ハタ いふ 字 を さして、(3 巻・57 ページ) 「ロー」 ヲ モッテヰル ノハ ジロー デス。(1 巻・53 ページ) 2
3 明治 33 年式棒引きかなづかいの今 「棒引きかなづかい」は、明治 42(1908)年の『尋常小学読本』から消えたのちはどうなってしま ったのだろうか。人名・社名を例にあげて考えてみたい。 (1)「伊藤」という人名の表記について 伊藤鉄也氏の名字である「伊藤」という字を書き表すのにはいくつかの方法がある。まず、「かな」 では「いとう」と「いとー」の 2 つの表記方法が考えられる。ちなみに同じく「伊藤」と発音する、大手 総合スーパーの「イトーヨーカ堂」は、カタカナに長音記号がついた表記となっている。「伊藤」をローマ 字表記にしてみると、以下の 3 つが考えられる。 ITO アイ ティー オー(ヘボン式) ITOU アイ ティー オー ユー(訓令式) ITOH アイ なお、「アイ ティー オー エイチ(パスポートを申請する際に許可される書き方) ティー オー」という表記方法の場合、「オー」の上に「サーカムフレックス」という小さ な山型の記号をつけてあらわすことがある。 また連携研究者の大内進氏の名字である「大内」も、上記の「伊藤」と同じく、字を書き表すのには いくつかの方法がある。 OUCHI オー OOUCHI ユー シー エイチ アイ オー オー ユー シー OHUCHI オー エイチ ユー シー OUTI オー ユー ティー アイ OOUTI オー オー ユー シー OHUTI オー エイチ ユー エイチ アイ エイチ アイ ティー アイ シー ティー アイ 以上、6 つの例については、 「伊藤」をローマ字表記にしたときと同じく、「オー」の上に「サーカムフ レックス」という小さな山型の記号をつけてあらわすことがある。 発音上は同じ「い と う」「お お う ち」であっても、表記方法はさまざまである。同時に、 「漢 字」をもちいることで、表記方法の複雑さから距離をおくことができると言える。 (2)ホーチキ株式会社 大正 7(1918)年に、日本で最初に火災報知器を販売した会社である。設立時の会社名は「東京報知 器株式会社」であるが、昭和 47(1972)年 7 月に会社名を「ホーチキ株式会社」と変更した。ちなみ に会社案内の表紙には、 「HOCHIKI エイチ オー シー エイチ アイ ケー アイ」と表記されて いる。「報知器」は外来語からうまれたことばではない。「かな」で表記をする場合は、長音をもちいない で「ほ う ち き」となると思われる。会社名をカタカナに長音符をつけた形で表記することになった 理由はわからない。しかし、カタカナで表記をする場合、「ホ」の後に長音符をつけた方がかたいという 印象が薄れ、親しみやすくなるからではないかと推測できる。 もちいられる理由や背景はことなるが、墨字の世界では公教育の現場から消えてしまった「かなづか い」が、現在でも生きていることを実感できたと思う。 3
4 おわりに-まとめにかえて 現在、古文の学習や古典文学に接していないと、「歴史的かなづかい」を日常生活でもちいる場合はほ とんど存在しない。著作やブログで意識的にもちいられている場合もあるが、少数である。「歴史的か なづかい」を日常生活でもちいることがすくなくなったのは、昭和 21(1946)年に公示された、「現代 かなづかい」が急速にひろまったからであるといえる。ことばをもちいる頻度がすくなくなれば、頻度 に比例して、もちいる人の数も減っていくのは珍しいことではない。毎年、年末になると発表される流 行語が、年月がすぎれば廃語や死語としてもちいるひとがいなくなってしまうのとおなじである。 「明治 33 年式棒引きかなづかい」は、「歴史的かなづかい」よりも早く公教育の現場から消えている。 ことばをもちいる頻度ともちいる人の数が比例するならば、公教育でもちいられていたころから 100 年 以上たった今では、墨字の世界から、「明治 33 年式棒引きかなづかい」が完全に消えてしまってもおか しくない。しかし現実には、 「和語を歴史的かなづかいにし、字音語を表音的仮名づかいとするように」 との考えをもつ「歴史的かなづかい復古論者」の一部に理念としてのこっている。また、「棒引きかな づかい」ということでとらえると、 「カナモジカイ」の会員が書いた文章や、ましこひでのり氏・かど やひでのり氏の「かながき論文」にも「棒引きかなづかい」のすがたをみることができる。そして「方 言辞典」や、国立国語研究所で利用されている「Unidic」の音声情報を表示する方法としてももちいら れている。 「方言辞典」や「Unidic」の音声情報の表示方法は、表音ということからはなれてしまった 「現代かなづかい」の特徴をおぎなうものであると推測できる。 考える範囲をひろげて、 「マンガ」や「ライトノベル」を対象にすると、登場人物が発したことばに も「棒引きかなづかい」が残っていることがある。例えば、「そういうことを言うなよ」を「そーゆー こと、ゆーなよ」と表記している場合である。現在、もっとももちいられている「現代かなづかい」か ら逸脱することで、文章に味わいをもたせるという効果をねらったのかもしれない。以上のようにさま ざまな例をあげたが、現在、墨字の世界にも「明治 33 年式棒引きかなづかい」と思われることばが残っ ていることがわかった。 今回、点字と墨字という 2 つの表記方法について考えるにあたり、墨字の世界では、活動範囲がせま いはずの「かなづかい」が、いまだに生き残っていることについて関心がわいた。同時に墨字の世界でも ちいられている「現代かなづかい」が、 「明治 33 年式棒引きかなづかい」よりも、ほんとうに「現代的」 であるのかということについて疑問が生じた。 かつて「歴史的かなづかい」が中心的な存在であったころは、「しょうゆ」は「しょー」と発音していても 「せうゆ」と表記すれば問題がなかった。昨年の 12 月、ユネスコ無形文化遺産に登録された「和食」に は、煮物にもちいる調味料をあらわした、 「さ し す せ そ」ということばがある。 「さ」は「砂糖」、 「し」は「塩」 、 「す」は「酢」 、 「せ」は「醤油」、 「そ」は「味噌」をさす。「現代かなづかい」で、「し ょうゆ」と表記する場合は、頭文字が「し」になることから、「し」の項目が「塩」とあわせて 2 つに なってしまう。 「さ し す せ そ」は「しょうゆ」を「せうゆ」と表記するからこそ、語呂として なりたつことばといえる。 4
やがて明治時代になり、表音ということが意識されるようになると、実際の発音と表記が離れている ことが問題となった。発音と表記ということを考えた場合、「明治 33 年式棒引きかなづかい」は、表音 を第一に考えた先進的な方法であった。「明治 33 年式棒引きかなづかい」が 8 年後に消えたのち、表音 を考えた「かなづかい」は、点字の表記方法のみに残った。表音ということだけを考えると、「現代かな づかい」は、「明治 33 年式棒引きかなづかい」よりもさかのぼった表記方法と言えるかもしれない。そし て、墨字の世界では点字との距離がもっとも遠くなってしまった表記方法かもしれないのである。 5 参考文献 (1) 『日本国語大辞典』第二版 第 11 巻(岩波書店、2002 年) (2)中野真樹(なかの・まき)著『日本語点字のかなづかい』 (三元社、2015 年 2 月) (3)柿木重宜(かきぎ・しげたか)著『近代「国語」の成立における藤岡勝二の果した役割について』 (ナカニシヤ出版、2013 年 7 月) (4)永山勇(ながやま・いさむ)著『笠間選書 67 仮名づかい』(笠間書院、1977 年 2 月) (5)坪内雄蔵(つぼうち・ゆうぞう)著『国語読本尋常小学校用』(冨山房企画、2012 年 1 月) (6) 『尋常小学読本 教育資料版』1 巻~8 巻(広島図書、1952 年 6 月) (7)ホーチキ株式会社 http://www.hochiki.co.jp/ (2015 年 6 月 4 日閲覧) 〔付記〕 ・3(2)にあげたホーチキ株式会社について 発表者は、 「昭和 47(1972)年 7 月に、会社名をカタカナに長音符をつけた形で表記することになっ たが、変更した理由はわからない」とした。変更の理由について、岸博実氏からホーチキ株式会社の ホームページ内にある「会社案内 沿革」に「1972 年 7 月 米国に 100%子会社のホーチキ・アメリ カコーポレーションを設立」とあるので、米国で子会社を設立するときに、カタカナで表記をする必要 が生じたのではないかとの意見を頂いた。 なお、事前に配布した資料で、3(3)として掲載していた「ケータイ」の例は「明治 33 年式棒引 きかなづかい」ではなく、 「棒引きかなづかい」の一例であるとの指摘を受けたため削除した。しかし、 貴重なご意見を頂けたので以下にしるしておく。 ・事前配布資料3(3) 「ケータイ」という表記について 発表者は「携帯電話」を「ケータイ」と表記することについて、「携帯電話」を省略した呼び方であ る「携帯」という意味と、「物をもちはこぶ」という意味とを区別するために、カタカナで表記するよ うになったと述べた。また、伊藤雅光氏(※)の「ケイタイはかなづかいとしては正しいが、実際の発 音はケータイの方が近いということになること」という指摘と、「カタカナでは長音符が使えるために発 音に近い表記ができることと、その方がユーモラスな感じやしゃれた感じが出るからだろう」との推測 を紹介した。発表者と伊藤氏の推測に対して、高村明良氏から「携帯電話が一般的になった時期と、パ ソコンが広まった時期がかさなることから、パソコンで文字を入力する方法である、ローマ字入力がか かわっているのではないか」との指摘を頂いた。カナ入力の場合と異なり、ローマ字入力をする場合は、 入力する字を複数選択できる。例えば、 「ち」は「CHI」 「TI」と 2 通りの入力ができる。 「ケータイ」の例は「棒引きかなづかい」にあたり、 「明治 33 年式棒引きかなづかい」からははずれて 5
しまったが、広く「かなづかい」を取り巻く状況を考えていくうえで参考にしたいと思う。 ※伊藤雅光(いとう・まさみつ)「ことば Q&A」(国立国語研究所広報委員会編『広報誌 国語研の窓』 第 16 号 2003 年 7 月) 本論考は、第1回 源氏写本の触読研究会(2015 年 6 月 14 日 於千代田区立千代田図書館)「明治 33 年式棒引きかなづかいの今」における発表資料である。研究代表者の伊藤鉄也氏をはじめ、ご意見を 頂いた各氏、さまざまな用例をご教示頂いた中野真樹氏に感謝申し上げる。 (国文学研究資料館・研究員) 6